2013/11/16

『Gravity』 無限空間のとんでもない孤独  


映画『Gravity』を観に行ってきました。

映画館ひさしぶり。アメリカでも映画、高くなった。数年前までは大人5ドルくらいだったのに、これなんか3Dで観たら15ドル。 この映画があんまり良かったので息子に(もうさいきん、ママと映画なんか見に行ってくれないので)カノジョと一緒に見てきなさいとちょっと太っ腹なところを見せたら、ううう2人で30ドルかよー。高っ。

映画館に客行かなくなる>値上げ>ますます映画館に行く人が減る  という、日本と同じ道をたどっているのではないでしょうか。
 


映画のストーリーはすごくシンプル。 宇宙ステーションで不慮の事故があり、宇宙飛行士の科学者(サンドラ・ブロック)がさんざんな目にあう。登場人物はサンドラ・ブロックのほか、同じミッションのもう一人の宇宙飛行士(ジョージ・クルーニー)の2人だけ、という本当に超ミニマルなセッティング。

舞台は地球の衛星軌道上。地上372マイル、約600キロ。半島の形や都市の光が、さわれそうなくらいにくっきり見える。

青い大気の層に包まれた地上が信じられないほど美しい。

CGではあるけど、地球を見下ろす疑似体験ができる映画だった。

サンドラ・ブロックの宇宙飛行士は事故にあって、地上に戻るために何もない空間を一番近い宇宙ステーションへ「泳いで」わたらねばならないのだが、私は閉所恐怖症の傾向があるので、もうこれは絶対に絶対に絶対にわたしには耐えられないとおもった。

広大な。
 
という概念を上書きせなばならないほど広大な空間の中で、自分を包む小さな宇宙服の中にしか、自分が生きられる環境がない。

これは閉所恐怖症には考えられうる限り最悪の逆パターンである。
ものすごく広い空間が広がっているが、自分がいられる場所はヘルメットの中の数センチだけ。
考えただけでパニック・アタックが来そうだ。

サンドラ・ブロックの宇宙飛行士は泣きながらこの孤独に耐えて行くのだけど、私は見ながら何度も「ああ私だったらもう間違いなくこの瞬間に死んでるよ」とおもった。

周囲何千キロにもわたって、1人の人間もなく、自分の吸う空気さえもない。これ以上の孤独はない。

目の前には、文字通り、無限に続く空間がある。 無限である。マジ無限。本当に果てがないのだ。

そうして、足もとの地球を覆う青い水と酸素の層の、なんと薄く、はかないこと。

不注意に落としたらたちまちぱりんと割れてしまう薄いガラス玉のようだ。

生命がいられる場所というのは、このとんでもなく無関心な冷たい無限の暗闇の中で、この薄いはかない、あるかなしかの層だけなのだ。

ということが、ひしひしと感じられる映画だった。

水蒸気の層に守られて生活している私たちはふだん、こんな無限の暗闇を見なくても済んでいる。何もない空間の圧倒的なボリュームの中で、私たちの世界のすべてはシャボン玉の皮のようなものの中で始まって終わる。

そしてこの、私たちの生命力というのは一体なんなんだろう、なんてことも考えてしまう。


日本では12月13日から公開されるそうです。

邦題『ゼロ・グラビティ』というのはちょっと意味が違う気がするなー。

『Gravity』は、重力圏で展開する物語なので、生命が存在できないほど地上から離れていても、舞台は地球のうちなのだ。

たしかに方向を間違って 力が働くと無限の方向に飛び出していって行ってしまうほど、重力の働き方は地上に比べて弱い。でもちゃんと宇宙ステーションも宇宙飛行士も、がっしりと地球の力に捕まえられている。

広大な空間に放り出された1人ぼっちの宇宙飛行士が感じる地球の重力、生命が存在できる地上から引っ張られる強い力(物理的にも精神的な意味でも)、というのが、この映画のテーマだと思うからだ。

 お奨めです。絶対大画面で。できれば3Dで。






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