2015/04/06

大正の大震災とご近所つきあい


幸田文さんの『きもの』の後半に、関東大震災が描かれています。

震災を機に主人公のるつ子の人生も、背景の時代も転機を迎えて、物語が急展開するのだけど、それはさておき、地震に襲われる前の下町の平和なひるどきの風景、地震が起きてから直後の人びとの果断な動きが、とても印象的でした。

隅田川の近く、商家や民家がひしめきあった横丁の住民たちは、地震のすぐ後に避難を開始します。

<一丁目町内の方、話あいのため、一軒に一人、大至急、呉服屋さんの前へ集合、と触れがまわった。案の定、通信途絶で確実なことはわからないが、火災多発、消防困難のもようだから、子どもや老人は各自早く立ち退くこと。男はなるべく残って防災と連絡に従うこと。もしまた避難先のあてがない人たちは、組になって、かたまって行くことにすれば何かと助けあって便利だろう>

<世話役の鳶の老人が、おてんと様の高いうちに出掛けるが勝ちだ。あとは出来る限り守るが、それでも今日のこの場合は受け合われない。こんなにどの屋根も瓦がむけていたのでは、火の粉一つですぐ燃えあがる。惨いようだが、欲はいい加減にすてて、怪我のないほうが町内どなたもお得だ。火が押してくれば、その音をきいただけで、気の弱い人は足がきかなくなってそれでおしまいだ、と強いすすめ方をした。>

火の手が回り出した下町を縫って、るつ子たちは上野の森へ避難します。乾物屋の隠居が、老人や子どもの一団を引率して、細引きの縄にみんなを捕まらせ、右往左往する群衆の恐慌にあおられないように冷静に上野へ向かうくだりは、なまなましく、引き込まれる描写です。

浅草橋のあたりから上野まで、電車ならほんのひと駅の距離でも、恐慌の中では大遠征。

すぐ川の向こう岸の被服廠に逃げた人びとは大火事の巻き起こした竜巻に遭って3万人が亡くなったという災害の中、火の回り具合を読み、安全な経路を探して、町内というだけで縁者でもない弱い老人や子どもたちを巧みに引率していく乾物屋の老人がジェダイの騎士のようにかっこ良い。

ここに描かれているのは一つの理想像であるのだろうけれど、コミュニティのゆるやかなつながり、自発的な助け合い、知恵や力の出し合いというのは、都会のあるべき姿って気がします。

この横丁の人びとは、代々そこに住んでいる人ばかりというわけではなく、現にこの乾物屋主人も若い頃は木曽の山の中で木を伐っていたという人物。
明治から大正への激動の東京の真ん中、移り変わりの激しい都会のご近所なのです。

入れ替わり入ってきた人びとが、一つの単位として町内のコミュニティを作り、非常の時に役所や警察の指示を待つまでもなく、町を守れるだけ守り、頼れる人には頼る、力を出せるときには出す。

家がびっしりと軒を並べる下町で、皆がわざわざ機会をつくらなくても顔なじみの親しさがある土地柄ならでの町内、というのもあるでしょう。

隣に誰が住んでいるのか、どんな人なのか知りもしないし口を利いたこともないのではコミュニティになりようもなく、他人の存在は邪魔なだけになってしまう。


ウチの近所を考えると、同じアパートの住人は一応の顔見知りで名前と家族構成くらい知ってるけど、立ち話したことも数えるくらいしかない。隣のアパートの住人や裏の家に至っては顔を見たことはあっても、挨拶をしたこともない。

戦時中の隣組みたいに監視しあうのはごめんですが、互いを尊重して距離をおきながら非常時が来ればおろおろせずに助け合えるようなご近所を持つって理想だなあ、と思います。


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