2015/09/03

世界の終わりの小さな幸福 青島千穂さんの『Rebirth the World』展


久々の更新です。学期末のペーパーと仕事が重なって、目が白黒していました。夏学期が終わり、やっとひと息ついたら、もう秋。まったく良い年をして何をやっているのだか。

かなり前の話なんですが、シアトルアジアン美術館に青島千穂さんの展覧会を見に行ったの巻。

この展覧会『Chiho Aoshima - Rebirth of the World』はすごく良かったのだけど駆け足で観て来てしまったので、もう一度じっくり見に行ってから書こう、なんて思っていたらもう9月になってしまいました。9月中に行けるかどうか微妙になってきたので取り急ぎ、またもやiPhone写真にて。

前回の「ミスター」に続いて、村上隆氏のスタジオKaikai Kiki所属アーティストによるシアトルアジア美術館での展覧会第2弾です。

わたし、村上氏ご本人の作品もちゃんと知らないし、カイカイキキ関連には今まであまりピンと来たことがなかったのだけれど、この人の作品には見た瞬間から手繰り寄せられました。



アドビのIllustratorを使ったデジタル作品(プリントアウト)が多いですが、なんといっても圧巻はこのパノラマアニメーション。

右側に火山、左側にオーガニックな形のビルディングが並ぶ都市を配したパノラマのアニメーションです。ビルはみんな人の顔がついていて、擬人化されている。手前のほうには卒塔婆が並ぶ墓場もある。

顔のついたスピーカーが「大変だ~!」と叫びだすと、右手の火山が噴火し、大災害が起こってビルが次々に倒壊し、街が崩壊して行きます。

やがて噴火は収まり、 地震で倒壊した街も少しずつ復興していきます。

そして、次の災害が起こるまで。

この短編アニメーションはエンドレスで展示されています。

山、噴火する。街が壊れる。世界がよみがえり、街ができる。山、噴火して、街、壊れる…。



青島さんの作品は、この展覧会を見に行くまで存在も知らなかったのだけど、この不思議さ、こわ可愛いさ、かなりどまんなかで、ストレートに好きです。

「自然と人間の文明の共存は難しい。互いに理解しあえない2つの魂を描いた」という青島さんの言葉が美術館のサイトに載ってます。




横長の画面は、部屋いっぱいのかなり大きなもの。

ベンチに座ってこの顔のついたビルたちが倒壊していく風景を観ていると、アーティストの言葉とはうらはらに、文明と自然というのはそもそも対立するものじゃなくてひとつのシステムではないのかしらという感覚にとらわれてきました。

人の側には無数の物語がいつも泡のように生まれては消えて流れていくけれど、もっと大きなサイクルで自然は時々思い出したように寝返りを打って、そのたびに泡のように生命が呑み込まれて消えてはまた慌ただしく生まれて地に満ちていく。

個人の生活や、コミュニティや国家や文化も、地球のスケールから見れば、しょせんは泡のようなもの。

だけど、このパノラマを観ていると、その泡のような生命や文明が、泡なりにたくましく強いものにも思えてきます。


Kaikaikikiのプロフィールには「その画の内容は日本的な妖怪と墓場の亡霊、つまり異世界との対話がメインであり、極めてパーソナルな心象風景に集中している。そのためか、10年以上墓場の隣に住み続けてきた」とありました。

生きるものにとっては常に常に理不尽な暴力である死と滅びを、この人はいつも、静かな恐れと興味を持って見つめているのだろうなと思います。その視線には、とても共感。

マクロな視点で見れば、自然の一部でしかない、死と、個人や社会の滅び。ミクロな、当事者の視点と、全体を見渡す視点とが、作品の中で同時に存在するものとして、同じ重さで捉えられています。


自然に呑み込まれてはまた生まれてくる青島さんのビルたちを観ていると、はかない生命がそれぞれの場所でそれぞれの時間を生きているというその瞬間が、幸福というものなのだなあ、としみじみ思ってしまうのです。


デジタルで画を描き始めた人ですが、最近では肉筆作品も制作しているそうで、これはそのひとつ、日本画ふうの作品。素敵すぎる。(ガラス越しに撮ったのでちょっと映りこみが入ってます)
この人の、それぞれの生きもののタマシイの描き方がとても好き。

会期が終わるまでにまたぜひ観に行きたいと思います。
パノラマアニメの部屋で1時間くらいぼーっとして、世界の終わりを見続けていたい。

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