2017/04/30

120年後に完全大改装


ところでウチは、息子と母とそろって同じ大学の4年生という、笑える親子です。わたしは毎学期1コマしか取れない(それ以上は能力的にも経済的にも無理。子どもがいてフルタイムで働いてて3教科取ってる超人系のクラスメートもいるけど私には無理)というカメのようなペースなんで、通いはじめたときには高校生だった息子にすでに追い越され…。奴は今年卒業。

こちらは去年の秋に人類学のクラスを取っていたDenny Hall(デニー・ホール)。

ワシントン大学のこのシアトルキャンパスで、一番古い建物。
「フレンチルネッサンス」様式だそうです。


大学構内の趣きのある古い建物はみな、外見は素敵なのだけど、中はみな20世紀の中頃に中途半端に改装されていて、天井が低く、照明は暗い蛍光灯で、部屋も狭く、設備もインテリアもかなりしょぼかったりします。

外部の大規模な寄付で建ったらしいビジネス学部とか法学部の図書館とかがキラッキラで モダーンなのにくらべると、人文学部のはいってるメイドイン19世紀の建物は、だいたい、暗い。

その中にあって、一番長老のこのデニー・ホールは、去年全面改装が終わったばっかり。

去年の秋取ったクラスがこのホールの1階の教室だったので、初めて中に入ってみて、うっわーなんだこれ!と、ほんとに感動しちゃいました。


上のフレンチルネッサンスな建物の正面玄関をはいると、中はこう!
明るい!
吹き抜けの階段ホール。カラーもモダンで、すっきりした繊細なライン。


玄関の両脇にあるロビーは自習やミーティングができるスペース。アルミやナチュラル素材でこちらも明るい印象。壁の絵がちょっとヘビーだけどね。

1895年に建ったこのビルも、1950年代に無茶な改装をされて、やっぱり中が暗くて狭かった。
そこに内部の構造をすっかり取り払って「ガワ」だけにしてから天井も壁も階段も作りなおし、オリジナルにあったスカイライトとアーチ型天井も復活させたそうです。



改造の規模を紹介した動画を観て、また感動。いやーほんとにすごい規模。

耐震設計もしなおし、LEED(環境性能評価)のシルバー認証も取得したのだとか。

改装にかかった金額は、新しいビルを建てるのとあんまり変わらなかったんじゃないかなー。
外はそっくり19世紀、中は21世紀。

こういう太っ腹で豪快な改装物件をみるとほんとに嬉しくなる。
この建物を最初に設計した建築家さんも嬉しいに違いない。



ちなみにトイレに入ったら、温風乾燥機は三菱製でしたよ!ダイソンじゃなくて。

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2017/04/27

おひとり様の烙印



Cakes で読んだ流氷りんこさん&サンドラ・へフェリンさんのマンガ『男の価値は年収より「お尻」! ?』。

ドイツ&日本のハーフのサンドラさんの、日本に住んで感じたカルチャーショックがおもしろい。

エピソードのひとつに「日本は『お一人様』天国?」というのがあって、これわかる!とはげしく同感。

日本では一人で行動する女の子が多いけど、ドイツはカップル社会なので、どこに行くにも一人だと肩身が狭いと…。


そうそう、日本では一人で夕食をとっても映画に行っても違和感ないのに、アメリカだとよほどカジュアルな店やカフェは別として、ひとりご飯はかなり敷居が高い。

でもシアトルでは、カフェのお客さんは60%以上男女問わずお一人様なので、その点はまあドイツより恵まれてるかな。

そして、映画館!
20代のころは東京でいつも一人で映画を観に行ってたのに、シアトルでたまに一人で映画に行くと、本当〜に肩身がせまい。

このあいだ、夕飯の後にぽっかり時間のあいた金曜の夜、とある映画をどうしても観たくて一人で映画館へ出かけたら、やはりまわりじゅうがカップルと若者グループ。

少し早めに行って真ん中へんの席を確保したので、次々に席が埋まっていくなか、両脇に空席を従えて(つまり1人で3席分使っていることに)いるのが申し訳ないやらで、すごくコンシャスになってしまった。

「金曜の夜に映画を一人で観に来るほど寂しい人なんですー」というフラッグが頭の上にパタパタはためいている気がしちゃう。

か、肩身が狭いっ (両脇は広いけど)…。と思いながら、だらけた格好で3席ぶんをおもいっきり使わせていただきました。

基本的にアメリカって日本に比べるとはるかに他人の目を気にしない文化なのに、お一人様行動は目立つんですよねー。


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2017/04/26

雨のことば、雨の名前、雨のにおい


『雨のことば辞典』について、ブログに書こうと思っていたのだけど、長くなったのでデジタルクリエイターズのほうに掲載していただきました。

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去年の夏帰国したときに、『雨のことば辞典』(講談社学術文庫 ISBN978-4-06-2922239-5)という文庫本を買った。

気象予報官で理学博士の倉嶋厚さんと「雨の文化研究家」原田稔さんの編著。

 広重の浮世絵「大はしあたけの夕立」を使った表紙が目について手に取ったら、全国各地に伝わる雨の名前や、雨に関わることば、気象用語、季語、故事にちなむことば、古語や漢語などがたくさん載っている楽しい辞典で、すっかり気に入ってしまった(あとがきによると、単行本は2000年初版らしい)。

日本(中国由来の漢語も含め)にはこんなにたくさん、雨にまつわることばがあるのか!とあらためて目をみはる。

収録されていることばのうち、8割くらいは聞いたことがないかも。

たとえば、

「ふぇーぶやー」
細かい雨を指す沖縄県中頭地方のことば。漢字で書けば「灰降」。
灰のように細かい雨が降る。

「あまくしゃー」
雨がいまにも降りそうな空模様をさす熊本県下益城地方のことば。雨臭い。

「雨承鼻(あまうけばな)」
穴が上を向いている鼻。雨が入る。

「風くそ」
島根県簸川地方で風が止む前に置き土産のように降る雨をさす。風が落としていった残り物。

…なんて、たぶん、知ってても一切実用に役立つ場面はないと思うが、そのことばが実際に使われている(いた)コミュニティを想像すると楽しい。

「卯の花腐し」「こぬか雨」「時雨」「五月雨」など、日本語には優雅な雨の名前がたくさんあるし、雨だけでなく雪、霧、あられ、雹、それに風など、気象に関することばがほんとうに多い。

長い歴史の中で日本人が育ててきた雨や風や雪に関するこまやかな肌感覚と語彙の多さは、きっと世界の言語のなかでも突出しているのではないかと思う。

ことばは先人の思考のエッセンスだ。「言語が思考を作る」というのは言い過ぎだろうけれど、育った環境で身につけたボキャブラリーが考え方や暮らし方のスタイルに影響しないはずがないし、ことばありきで感じ方の様式が決まることもあるはずだ。

ことばや様式が思考を育て、そこからまた新しいことばや様式が生まれていく、というプロセスが文化というもの、だと思う。

中国や日本の文学や絵画には、雨や雪や霧や霞を愛でるものが多くて、だからその語彙も多い。伝えられる語彙が多くなればますますその現象に意識を向ける人も多くなる。

とくに、季節ごとの静かな雨に幽玄なはかなさを感じるのは、もしかして東アジア地域の風土で特別に醸造された感性なのかもしれない。

「新古今集」の秋歌・冬歌編の422首の中には「時雨」の歌が35首も収録されているそうだ。

「木の葉散る しぐれやまがふわが袖にもろき涙の色と見るまで」
(新古今和歌集 五六〇 右衛門督通具)

…みたいに、秋の深まる頃に冷たくしょぼしょぼ降る雨に、はかない人の世のもの寂しい心持ちを重ね合わせてうたう歌が多いようだ。

「日本の風景は水蒸気がつくる」と司馬遼太郎が『坂の上の雲』に書いていて、おおー、なるほどと思った。日本の風物とそこでの暮らしがどれほど水蒸気に包まれているのかは、しばらく日本を離れてから帰ってみて初めて実感できたのだった。

ハワイに引っ越して数年後に一時帰国したときに、夏の東京の夜空が、晴れた夜なのに薄いベールを通したようなくすんだ濃紺だったのが新鮮だった。

ハワイも雨が多い土地ではあるけれど、気象はもっと単純明解というか、コントラストが強くてすっきりしている。ハワイの水蒸気は日本のようにゆっくりとどまらず、夕立を降らせて虹を立てると、すぐに貿易風に吹き飛ばされていく。

ハワイでは、太平洋をわたってくる風が高い山々にぶつかって雲を作り、雨を降らせるのは日本と同じだけれど、貿易風がだいたい一年を通して一定の方角から同じように吹くので、天気がとても予想しやすいうえに、入り組んだ地形によってごく小さな区域ごとに安定した局地的気候が生まれている。

小さな丘陵の谷あいには毎日朝晩必ず雨が降るのに、クルマで数分ほど走ると、めったに雨の降らない完全な乾燥地帯に出たりする。

白人が来る前からハワイに住んでいた先住民は、土地や天気ととても親密な関係を築いていたようだ。ハワイのことばにも、雨の名前はとても多いのである。

Harold Winfield Kentの「Treasury of Hawaiian Words in 101 Categories」(1967年刊)という本には101の分野のハワイ語が収録されていて、雨の名前だけで6ページが割かれている。

たとえば
「Kona hea」は、「ハワイ島のコナの、冷たい嵐」。
「Nahua」は、「マウイ島北東部に降る、貿易風をともなう細かな雨」 。
「Uaka」は、「<白い雨>という意味で、マウイ島ハナの有名な霧」 。
「Ua-moaniani-lehua」は、「ハワイ島プナに降る、レフアの花の香りを運ぶ雨」。

 といったぐあい。この本のリストをみる限り、ハワイの雨の名前は「この場所に降るこんな雨」という、きわめてローカルな体験にもとづいたことばが多いようだ。


いま住んでいるシアトルも雨の多いことで有名な土地で、秋口から初夏まで、1年の半分以上はどんより曇ったしている日が多い。

ここの住人は、じめついた天気のことで自虐ネタを言うのが好きだけれど、英語には雨の名前はそれほど多くない。

白人が来る前にここにいたネイティブ部族の人たちの言語に雨や風を表すことばがどのくらいあったのか調べてみたいと思いながら、なかなか実現できないでいる。ハワイ語ほど研究者がいなくて、資料の数もとても少ないようだ。

英語の類語辞典を見ていると、どうも英語の雨の名前には、「土砂降り」「大雨」の表現が多い気がする。とくに、印象的なものはほとんどが大雨に関することばばかり。

「すごい土砂降り」の表現として強烈に印象に残ることばに「rains cat-and-dog」というのがある。 語源は不明で、18世紀なかばにはすでにジョナサン・スウィフトが言い古された表現の一つとして取り上げているという。これを見ると犬と猫が空から降ってくるカオスな画像が頭に浮かぶけど、やっぱりそんな光景を描いた19世紀の滑稽画がフランス語版のWikiに載っている。

参照:こちらのサイト


「cloudburst」は、雲が割れてドバドバ降ってくるような大雨。
「pouring down」も大雨の表現でよく使う。バケツのような容器で水を注いでいる感じの表現。
「shower」は夕立のような強い雨。
「drencher」も一瞬でずぶ濡れになりそうな、圧倒的な土砂降り。

こうやってみると、日本の詩歌のことばやハワイ語の雨の名前のように、雨に心情を重ねたり、雨を愛でる的な態度が感じられることばはあまり見当たらない。

そもそも「雹」と「あられ」の区別もしないで両方「hail」というくらいだから、アングロサクソン系の文化は気象については大雑把なのかもしれない。私は英文学の教養がないので、単に知らないだけかもしれないけど。

傘をさすほどでもない小雨は英語で「drizzle」または「sprinkle」。 どちらも、「オリーブオイルをひとたらし」「砂糖をパラリとふりかける」といった調子で、料理の手順の説明によく使われる。

和英辞典で「こぬか雨」は「light drizzle」とされている。 小雨の名前にも能動的な動きが透けてみえるところが、情景描写寄りの日本の雨のことばとは違うなと思う。


雨に関する英単語で、「Petrichol(ペトリコール)」というのをつい最近知った。 「長い間乾いていた土地に、久しぶりに雨が降るときの匂い」という意味。

あの「雨の匂い」に名前があったとは知らなかった!

雨についての感受性が飛び抜けて豊かな日本語に、これに対応することばがないのは不思議な気がする。

これは1964年にオーストラリアの学者がギリシャ語から作った造語。ということは、世界のどの言語にも、これに対応することばがなかったってことなのだろう、たぶん。

この雨の降り始めの匂いは、土に含まれている植物由来の油と化学物質が雨粒によって空中に放出されて人の鼻に届く香りなのだそうで、雨粒が地面を打ってその微細な香り物質が空中に放出されるメカニズムをMITの研究者が映像でとらえたスローモーションビデオもある。



すごいです!

感覚を表現する新しい語彙が、サイエンスの分野から出てくるのが興味深い。




(参考)
http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/5/52392/20160528120004110004/erc_035_023_030.pdf

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2017/04/25

ホンジュラス料理


フェデラルウェイという町(シアトルの南、クルマで30分ほど)のホンジュラス料理やさん、Mi Bella に行ってきました。

そもそもホンジュラスってどこ?


ここでした。中米のこのへんの地理、ぜんっぜん頭にはいってなかった…。

エルサルバドルってちっちゃいのね。ニカラグアとグアテマラが隣り、そしてコスタリカがその下ね。ふむふむ。

別にホンジュラス料理を食べにわざわざフェデラルウェイに行ったわけではないのだけど、このへんのエスニック料理店はシアトルのオシャ料理店とはまったく違い、ディープで面白いっす。

お店はとってもカジュアルで、男の人がほとんどサッカーのジャージを着てるのが、なるほど!って感じw テレビはもちろんサッカー番組。

Chuleta en salsa catracha というポークチョップにしました。ポークチョップはケチャップ的な味。キャベツのサラダ、ライス&ビーンズ、バナナの兄弟プランテンのフライがついてきます。
左上のポテチのようなのがプランテンフライ。

プランテンのフライは、かすかにバナナっぽい風味だけど甘みはなくて、ほくっとした食感があっておいしかった。

あと、 Baleadaというホンジュラス版トルティーヤが、もちもちでうまかったです。

これでホンジュラスの場所をしっかり覚えたよ!もう大丈夫!(本当か?)


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2017/04/23

緊張の対決


先日、近所をさんぽしていて出会った、緊張の一場面。


 ……!!!


………。

あたたかくなってきて、リスたちはまた大忙しです。
秋口には、あちこちにドングリを埋めているリスを見かけます。

しかしリスたちはあまり記憶力がよくないため、ほとんどの隠し財産はそのまま春になるまで土のなかにいて、芽を出すのだそうです。

リスの食欲が、植物たちになにげに利用されてるんですね。


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2017/04/22

今年のさくら第2ラウンド バラードのロココ並木


ソメイヨシノは散ってしまいましたが、シアトルでは八重桜が満開です。

うちのすぐ近くの通り(14th Ave NW)は、どういうわけか八重桜並木になっている。

樹齢何年くらいなのかなー。


これまで毎年4月末には家にいないことが多かったので、満開の時期を毎日目撃するのは、実は今年が初めて。

きょうから雨になるというので、散ってしまう前に!と、きのうの夕方あわてて写真とりにいったら、


…今日も午後からよく晴れた。


ボケモードで!うーんいまいち。


これはHDRで撮っていたらしい。 Googleの人工知能の描く画みたいですこし怖い。


八重桜って、とにかく過剰。ちょっと田舎の商店街の飾り付けみたいな。

この並木の八重桜は特に色がとても濃いピンクだし、もうこってり濃厚です。

「ロココ」っぽいなあとも思う。マリー・アントワネットが八重桜を見たらきっとトリアノン離宮に植えたにちがいないって気がする。


ピンクの洪水のなか、新しく植えられた若い木は白い八重桜。



それでも充分ロココ。


明日も雨の予報。もうしばらく見られるかな。

広い道の真ん中に公園になる予定だけどいつまでたっても工事が始まらないでクルマの駐車場になっている砂利地があるので、あまり絵にならない並木道ではあります。


あー、このボケはちょっと気持ちが悪いかも…。じっとみてると酔いそうだ。


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2017/04/21

iPhone7 Plusのボケ具合



あたらしいデンワ(iPhone7 Plus)がやっととどいた! 

カメラの「ポートレート」モードの「被写界深度エフェクト」をさっそくためしてみました。
このデンワはレンズが2個並んでいて、 一眼レフカメラで絞りを開放にしたときのような「ボケ効果」が作れる機能がついてます。

近所で満開のりんごの花。
上の写真を、同じ位置で「ポートレート」モードで撮ってみます。

被写体が近いと「離れてください」と命令されます。


おぅ! ちょっとわざとらしいけど、なかなかそれっぽいボケになってます。


こちらが標準モード(2倍ズーム)。


ポートレートモード(被写界深度エフェクトつき)。以下「ボケモード」とします。
ちょっとトリミングしたほかはほとんど撮ったまま。

デンワのカメラの直径5ミリくらいのレンズで、ここまで撮れてしまうのか…。 


標準モード。


ボケモード。

F値を選べるわけではなく、デンワの中にはいってるなにかが(← きっと小さいおじさんみたいなもの、という理解)勝手に「はい、ここから先はボケ領域にしますよ」と計算して後付けでボケをつくってるので、よくよく見ると特に中間域が不自然だし、もちろん良いレンズで撮るきれいな光学ボケには全く及ばない、…ものの、ポケットから出してひょいっと撮れる薄さ7ミリのケイタイカメラにこんなこしゃくなマネができるようになっちゃったんですね。

わたしの持ってるデジタル一眼レフはニコンのD90で、もうかれこれ8年前くらいに買ったもの。レンズはともかく、画素数はたぶん同じ。

一眼レフにはレンズを付け替えて撮る楽しみがあり、カメラを操作する手応えがあるけど、身軽さではぜんぜんかなわない。

ケイタイのカメラにここまでの再現力と描写力がついたら、写真を撮るという目的じたいが変わってしまった。

旅先に重いカメラを持ち歩くことはもうないかなー。


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2017/04/19

赤かぶとシトラスのサラダ


シカゴのフォトグラファー、マミさんのブログでみたオレンジとラディッシュのサラダがあまりに綺麗でうまそうだったので、つくってみました。

マミさんの写真にくらべると芸術性はかなり落ちますねえ。
マミさんはセンスも素晴らしいけど、ほんとにマメなお料理家で感心する。

料理したり食べることにテンションが落ちてきたときにインスピレーションをもらえるブログのひとつです。

マイレシピ(ありあわせ)はオレンジに、冷蔵庫にあったかぼちゃのローストとルッコラをプラス。
ドレッシングは、ホワイトバルサミコ、オリーブオイル、ハワイアンソルトとはちみつ。

ラディッシュの辛味とオレンジのとりあわせがさっぱりして新鮮で、このところマイブームになっている。




これは先日スーパーでみたEdible Seattleだったかなにかの雑誌の表紙にあったのをマネしてみたかった、アボカドと卵とラディッシュのトーストのせ。

ラディッシュのスライスをのせると、とりあえず華やかになる。

ラディッシュって実はいままで興味がなくて買ったことなかったけど、 スライスするとほんとにキレイだし、なんでもない料理がシャキッと春らしくなるですね。


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2017/04/18

すごい身体のモノローグ


一日に何度も晴れたり雨降ったり時には雹も降ったりと忙しい、シアトルの春です。

先週の晴れた日曜日(4/9)、シアトル舞踏フェスティバルをのぞいてきました。

場所はShoreline Community College。いつも通っている通りから少し入ったところに、こんなコミュニティーカレッジがあったのをすっかり忘れていた。初めて行ったけど、こぢんまりした中にも緑が多くて落ち着いた綺麗なキャンパスでした。通ったことのあるNorth SeattleCCよりも、ずっとのどかで端正な感じ。

シアターのほうに歩いていくと、 中庭の芝生に水のない河原のようなところがあり、そこでパフォーマンスが始まっていた。
サンフランシスコから来たという舞踏家のお二人。

音楽はどこから聴こえるのかと思ったら、まるいスピーカーを胸のところにつけてらした。「ちょっとしたサイボーグ」とご本人。なるほど。取り外し可能だけどね。

背景には桃色の花。賽の河原のような石の上の道行き。
ほんとうに色も形も時も、パーフェクトな舞台だった。



シアターでの演目一つ目は、シアトルの舞踏家、薫さんの、長崎をテーマにした「ORASHO」。

長崎という土地は、ひどい暴力にみまわれてきたところ。しかも何度も。

全然知らなかったのだけど、幕末の開国後、フランス人たちのために大浦天主堂が作られた後で、200年もの間隠れていたキリシタンたちが天主堂にやってきて、このフランス人神父に「発見」されたという事件があったのだそうです。

でも開国したとはいえ、徳川幕府は臣民に対してキリスト教を禁教としていた方針は変わっていなかったため、200年の時をへてカミングアウトしてきたキリシタンたちは次々に逮捕されて流刑にされてしまったのだと。

なんと弾圧は明治維新後も続き、キリスト教国の列強が、クリスチャンを迫害する国など文明国の仲間に入れてやらん!と圧力をかけたこともありようやく明治6年に禁教が解け、信徒が釈放されたときには、流刑先のひどい拷問や私刑で600人ほどが亡くなっていたのだそうです。

そのキリシタンたちが代々ひっそりと伝えたのが「オラショ」。ポルトガルの宣教師たちが教えたオラシオ(祈祷)が、お経のようなうねり感のある日本語の祈りになって200年伝わった。

薫さんの舞踏は、その「オラショ」をアレンジしたオリジナル楽曲を使い、背景にはYukiyo Kawanoさんの、原子爆弾をかたどったオブジェを配した、ナガサキの土地へのレクイエムのような物語。

舞台がすすむにつれて、最初は折りたたまれていた爆弾のオブジェが上から吊るされ、完全な形に広がる。照明の効果で、まるで中から発光しているように爆弾のオブジェが神々しいような美しさに輝く。

禁教が解け、迫害を逃れた隠れキリシタンたちがようやく持てた自らの教会、浦上天主堂は、長崎の原爆で破壊されてしまった。

という、歴史への思いのこもる作品でした。




次の「花の鎮魂歌」は、フィンランドを拠点とする日本人男性舞踏家、ケン・マイさんの舞台。

ファッションモデルなみに細く、しかし不思議な筋肉がついている舞踏家は、1ミリも贅肉のない胸をはだけた黒い妖艶なドレスで、カゴから白い羽根を撒きながら登場。舞台全体をあっという間に自分一人のものにするエネルギー。すごい。

短い生命の花が咲ききる永遠のような一瞬を、全身で表現する舞台でした。


こちらのビデオはケン・マイさんのメキシコでのワークショップのプロモ。シアトルのあとは米国数カ所を回ってヨーロッパに帰るそうです。

舞踏家はそこにいるだけで、オブジェ。

ケン・マイさんのこの日のプログラムでも、舞台の上に自由落下して飛び起きるという、どうしてそんなことができるのか謎な動きが続発してました。すげぇ。

でも一番感動したのは、パフォーマンスが終わり、静かに舞台を下りてきたケン・マイさんが、観客とコンタクトしはじめたとき。

目の前にやってきたケンさんを両手をひろげて受け入れて、いっしょに舞いはじめる人。
閉じたままで、かたまって見るだけの人。
どちらが正しいとかではなく。
そして、開いた人にはまっすぐにはいっていくケンさん。となりのご夫婦は2人まとめてケンさんにハグされてた。

ことばのない抽象的な表現方法は、ごく個人的な体験をダイレクトに伝える。
抽象的になればなるほど、受け取るものは直接的になる。

このあいだシアトル美術館で観た常設展示のマーク・ロスコの作品に、 私にとってこの絵画はスピリチュアルな体験なのだというような画家本人の言葉が添えてあった。正確な言葉は覚えてないけど。
ただ四角く色がぬってあるだけじゃん馬鹿らしいと思って観る人もいれば、ロスコの感動を共有できたと思って観る人もいれば、よくわかんないけどキレイだな癒されると思って観る人もいる。

視覚の芸術や音楽は本当に恐ろしく情報量が多いので、言語で説明しようとした瞬間にとてもやせ細り、ことばの持つ膿のなかにからめとられてしまう。
ピシリと居合抜きのような鋭さで一寸の狂いもなくことばにできる人は、受け取る鋭さだけでなく、途方もないボキャブラリーと整理された情報を自分の懐に持っているのでしょうね。

そんなことはどだい私には無理だけど、説明されないものをいっさいのナラティブなしにただ受け取る、ということの楽しさと困難さを、ケンさんの舞台をみながらちょっと思ったりした。

目にうつるものをいかに私たちはすぐに説明したがることか。
というか説明しないと毎日の生活にすぐ支障をきたすけど。
わたしたちは「いま」「ここ」「わたし」からはじまって物語なしには生活できないのではあるけれど、そこからちょっとだけ外れて、ただそのものを観る、ということが、どれだけ可能なのだろうか、など。

ケンさんの舞台は、とてもラブリーでせつない、そしてほわっと優しい舞台でもありました。


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2017/04/11

今年の木蓮


桜が満開になったと思ったら、すぐに雨と大風がきて、今年の桜はあっという間に終わってしまいました。

シアトルは朝晩気温が低いので、雨と風さえ来なければ桜もほかの花も長持ちするのだけど。

木蓮(マグノリア)も、今年は桜よりも少し遅めに咲き始め、そしてやっぱりあっという間に終わり。


近所のおうちの、みごとな木蓮。
この大きな花がこんなにみっしりついているので、大変な迫力。
日本の木蓮は、もっと、ぱら、ぱら、という感じで咲いていた気が。

これも、満開になった次の日の雨でもう茶色くなってしまってました。
花弁が大きくて痛みやすいので、桜よりも見頃の期間は短いのかも。


こちらは今日のワシントン大学構内。
桜が満開だった先週、この木蓮の木の前にインド人の初老のご夫婦が2人でニコニコと立っているのを、大勢の子どもや孫たちがそれぞれのケイタイやカメラで写真を撮ってて、コダックモーメントのコマーシャルみたいでほのぼのでした。

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サーカスの悪い夢 シルク・ドゥ・ソレイユ



シアトル近郊、マイクロソフトの本社がある町レドモンドでやってる、Cirque du Soleil(シルク・ドゥ・ソレイユ、アメリカ人は「サーク・ド・ソレイル」と発音するようです)『LUZIA』をみてきました。

息子の誕生日ウィークでふんぱつしたよ。 ギフトの代わりにサーカスへ連行。
単にお母さんが観たかったのでは、という噂は聞き流してください。


夕空にサーカステントって鉄板でワクワクする。テントの先端からはぴゅうと蒸気も出ている。わけではなくて、たまたまいいあんばいにそこにあった飛行機雲です。

Marymoor Parkという、以前にサッカーの試合でも何度か行った、だだっ広い公園で開催中。
公園のまんなかなの芝生の上に停めるのに、しっかり駐車料金を15ドル取られます!
大勢で行く方はぎゅうぎゅうに乗り合いで行くほうがお得よ。



このエキゾチックなテントの形が素敵。

シルク・ドゥ・ソレイユのプロダクションは、熱のある日のうなされる夢から出てきたように幻想的。

以前にも一度だけ、ホノルルのブレイズデール・アリーナに観に行ったことがあった。
「サルティンバンコ」だったかな?もう詳しい内容は忘れたけど、女声ボーカルがドラマチックでほんとうに綺麗な舞台だった。

今回のも、ハチドリ人間、魚人間、わに人間、蝶人間などが活躍でした。

(以下、多少ネタバレあり。サーカスを見に行ってびっくりしたい人はスルーしてください)




一番最初はハチドリ人間の輪くぐり。平和でアップテンポで明るくてよかった。

メキシコがテーマのこのショウは特別にカラフルで、以前観たショウよりもサーカスらしい、下世話でキッチュな見世物小屋的なカラーが強かった。

ピコ太郎みたいな愛想の良いお兄さんの超絶技巧ジャグリング、レトロな感じのアクロバット、ターザン美青年のエアリエル、ほんものの蜘蛛人間。

そう、この蜘蛛人間は、関節を自分ではずせるのかなんなのか、ヨガマスターでも絶対にありえない、人間昆布巻きみたいなポーズになってしまう。まだ若い男の子なんだけど、毎日こんなことをしていて大丈夫なのかと他人事ながら心配に。

うちの息子はもうどうにもこれがダメだったそうで、トラウマになりそうだったといってました。


最初から3番目くらいのブランコとフープのショウで、輪っかにはいってグルグル回転していたお姉さんが、上から下りてきたブランコのお姉さんと衝突するというアクシデントがあって、お姉さんたちはショウを中断してひっこんでしまった。

ピエロが出て来るまで数分間の居心地悪い沈黙が…。

こういうアクシデントがあったこともあり、なんだか落ち着かなくなって、フィナーレ近くで2つのブランコの間を蝶人間のお姉さんやお兄さんが飛び移るアクロバットは、お尻がチリチリするほど怖かった。

そしてありありと、幼稚園時代にわたしはブランコが死ぬほど怖くて、それを克服するのに大変な時間を要したことを思い出した。
非常にどんくさい子どもだったのです。
アクロバットを見るまで、ブランコ恐怖症のことはきれいさっぱり忘れていた。

いやとても楽しいショウだったんですよ。舞台美術もショーマンシップも一級だった。

でもサーカスってやっぱり怖いや。ここはとんでもないものが出てくる異世界。



テントの中に、シアトル在住Henry画伯の画も飾られていた。

この人の画も、悪い夢からでてきた感じで、よく見ると怖いでしょ。


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