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2019/08/14

富豪の島の猫サンクチュアリ



東京の下町、にゃを美先生んちの近所でみんなに大事にされている地域猫、ばんちゃん。

この子はとてもフレンドリーでした。



こちらは先日仕事中になにかの検索をしていていきあたった、猫サンクチュアリ

ハワイのラナイ島に、にゃんと600匹以上のねこを保護しているサンクチュアリがあるのです。

 ラナイ島って、昔はパイナップル農場の島でドールが土地のほとんどを持ってた島です。

90年代にパイナップル産業が下火になると、超がつくレベルの高級リゾートが2軒開発されて「エクスクルーシブな滞在型リゾート」の島になりました。(現在は2軒ともフォーシーズンズが運営してます。)

ど庶民のわたくしたち親子にはまったく縁がありませんでしたので、ラナイ島には行ったことがございません。

いまはあのオラクル社のラリー・エリソンさんが島の98%を持ってるそうですよ。

98パーセントって、ほぼプライベートアイランドですね。笑っちゃうほどのお金持ち。

ラナイ島の人口は、約3200人。

そこに猫600匹以上。



外敵がいない島だけに爆発的に野良猫が増え、絶滅危惧種のトリたちが危機にさらされてしまっていたところへ、イリノイ州から移住してきたキャシー・キャロルさんという方が25匹の猫を保護したところからはじまったサンクチュアリ。

今ではフルタイムのディレクターもいて、設備のととのった車載クリニックも完備。

年中無休で毎日営業しており、無料で訪問できるそうです。

なんという夢のデスティネーション。
フォーシーズンズの近くにある「ファー(FUR・毛皮)シーズンズ」と呼ばれ、ラナイ島でナンバーワンの観光名所になってるんだとかww。
年間1万人が訪れているそうです。

ここにいる猫はみんなトラップで野生の状態から捕まって保護されてきた猫たちだけど、このサンクチュアリのディレクターによると、そのうち6割はこのように人になつくようになるんだそうです。

「運営はすべて、ここを訪れる人の寄付で賄われてます」ってウェブサイトに書いてあるけど、それでこの設備!このスタッフ!この規模!ってすごいわー。

エクスクルーシブなリゾートに滞在する層だけに、寄付といってもケタが違うんでしょうね。
1泊1,000ドル以上のホテルに滞在するファミリーなら、その数泊分の寄付を猫天国の維持のためにポンと出すのも普通なんでしょうねー、きっと。税金控除の対象になるし。

エリソンさんもがっつり寄付してるのでしょうか。

自分の島(98パーセント!)で、野生動物と野生でない動物と環境を守ってくれる団体になら、しっかりお金を出さないとね。

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2017/11/24

ゴージャスなクイーン・アップルちゃん


ホノルルでの唯一の夜遊び! もうかれこれ二ヶ月まえですけど気にせずアップ。

マダムMと一緒におもむいた、チャイナタウンのはずれにあるクラブ『スカーレット・ホノルル』のラウンジ。

ヒルトンハワイアンビレッジから乗ったUberのドライバーが
「ほんとにここで降りるの?」
と首をかしげた。

ハワイシアターのすぐ向かいなんだけど、ほかには何もない、暗い一画。
一見したところ、地味であやしい外見の酒場。

でも、中はこんな。

ババーン!と壁一面に女王様の姿がある、キレイなラウンジなんですよ。

隣のクラブはスタンディングオンリーで週末はダンスフロア激混みになるそうだけど、こっちはテーブル席ばかりで、大人向け。

そして食べものも美味しかった!チキンウイング超ウマでした。

ここでは毎夜、ドラッグクイーンのショウが繰り広げられているのです。

そしてうちの息子の3つくらい年上の友達で、遊び仲間だったティミー君が、ここでアップルちゃんという女王さまになって出演していらっしゃるのでした!


ショウのたびに大騒ぎするので、ロクな写真は撮れませんでした。(しかもどういうわけかライブフォトで撮ってた)

すんげー楽しかった。

まともな写真がないのでこちらでご覧ください。こっちはラウンジじゃなくて隣のクラブのステージですって。




ティミーちゃん、小学校高学年くらいから知ってるけど、むかしからすっごく心の優しいいい子だった。

ママのEちゃんはティミーくんの志向を頑として反対してたんだけど、Eちゃんの親友のスヌーピ子がこんこんと長年にわたり説得しつづけた。


スヌーピ子も二児の母でうちと同じシングルマザーで、ハワイに住んでたときにはほんっとにたくさんお世話になりました。こんなに心の綺麗なひとはあんまりいないかも、っていうくらい、心根のまっすぐなママ。
薩摩の女性だけにきっぱりはっきりしてて肝っ玉が太く、底ぬけに心優しい。

店に飾られてる「半分アップルちゃん」のフォトは、地元フォトグラファーの作品。
これいいよね。素晴らしい。



ほんなわけでEちゃんも、いまではすっかり息子を誇りに思って応援してるのです。涙。

ほんまに楽しい時間でした。アップルちゃん、Eちゃん、ありがとうー。また行くよー。

これからホノルルに行く人はぜひ遊びに行ってみてね。


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2017/11/17

カニアカププの廃墟へ


オアフ島で、ラウラウちゃんと行った短いハイキング!

カニアカププという場所です。カニアカププ。Google日本語変換に覚えさせるのにちょっと苦労した。

ここは何かというと、カメハメハ3世が建てた、夏の別荘跡です。
ヌウアヌの森のなかにあります。

毎日通勤で少なくとも1000回くらい往復したパリ・ハイウェイのすぐ近くにあるトレイルだけど、存在も知りませんでした。今回のオアフ島で、ほんとにわたしは12年住んでいたのだろうかと思うくらいいろんなニューな場所をマダムMやラウラウちゃんに教えてもらった。



おせんべちゃんも同行!
「この子は山になると張り切るのよー」
とラウラウちゃんがいうとおり、もう車を降りたとたんに
「ここはオレにまかせとけ( ・ิω・ิ) という勢いで先頭に立って行かれました。


トレイルの入り口は、ヌウアヌ・パリの旧道沿い。
この道は外灯が一本もない狭い道です。

むかし、一度、並行して走ってるパリ・ハイウェイがどうかして閉鎖されてて、夜も更けてからこの旧道を通って帰らねばならず、かなり怖かったです。
当時小学6年くらいだったうちの息子はまじでビビってた。



足元は雨のあと(ヌウアヌは毎日一度は雨が降る)でぐちゃぐちゃになっているというので、わりと新しいスニーカーを履いていくつもりだったんだけど、ラウラウちゃんのすすめで「スリッパ」(ビーチサンダル)を借りてペタペタと行きました。

おかげで、足のうらは赤土で真っ赤になったけど、靴は汚さずにすみました。

さすがだわ、ラウラウちゃんはもう筋金入りのカマアイナである。
私にはハイキングでスリッパという発想はなかった。
麦わら帽子も大変ステキ。これを私がかぶったら農作業のおばさんである。

あと、ラベンダーオイルで作った自家製の虫除けスプレーも借りた。これはまじでよく効きました!



こんな入りぐちがたくさんあってよくわからない。もう何もかもおまかせで、おせんべちゃんとラウラウちゃんのあとに続く。 頼もしい。ありがとうございます。



なにかの主のような巨大なバニヤンツリー。
ヌウアヌは竹やぶでも有名です。笹竹ではなくてかなり立派な竹がみっしり生えている。

息子はこの近くのヌウアヌ小学校のボーイスカウトに入ってて、そこの団では毎年、年末にここの竹やぶで竹を切出して、「かどまつ」を作って売って活動資金にしてました。

朝早くからお父さんやスカウトマスターたちがチェーンソーをもって大きい子たちを連れて竹やぶに伐採に行き、小さい子とお母さんたちは切った竹と松の枝を組み合わせて門松を作るという、一日がかりの作業で、けっこう大変だった。松のヤニが手につくと取れないのよね。
門松は30ドルとかそんな値段で、けっこうバカスカでもないけどよく売れてた。


竹やぶを抜け、巨大バニヤンツリーのところで左手に入って木の根をくぐり、ヤブを抜けていくと、綺麗な滝に出る。


やや躊躇しながら流れを飛び越える勇敢なおせんべちゃん。



その先はもうちょっと大きな滝のてっぺんになってます。
この滝は20メートルくらいの崖になってて、滝を上からのぞいてみようとしたら、おせんべちゃんがものすごく吠えて引き止められました。
「お前は何を考えとるじゃ!」みたいな勢いでした。


おいしそうなキクラゲが!


凛々しいおせんべちゃんでした。
これだけでもなかなか素敵なハイキング、といってもここまではトレイル入り口から10分も歩いていない。
すれ違ったハイカーは2組だけ。


雨が降ったり止んだり。妖艶なジンジャーがあちらこちらに。


ほんとにこんな道で、倒木を乗り越えたりくぐったりで、短いトレイルだけどアドベンチャー気分満載でした。

カニアカププの廃墟へは、さっきのバニヤンツリーのところまで戻って、その先へ数分。



ここはヘイアウ(神殿、聖地)ではないのだけど、やはりネイティブハワイアンの歴史的な場所だけに、お供え物がおいてあったりする。
私たちも、ラウラウちゃんちのお家の庭からティーリーフをもって行きました。

この碑にはカニアカププの由来が書かれてます。

1845年に完成した、カメハメハ3世の夏の離宮で、外国からの賓客や、酋長たち、普通の人たちをもてなす場所であったこと。

そして、1847年の「Hawaiian Restoration Day」には、お祝いのルアウが開かれ、1万人の人が集ったこと。

この狭い敷地に1万人??というのも驚いたけど、それよりHawaiian Restoration Dayってなんなのだろう、とぐぐってみた。

全然知りませんでした。英国海軍のポーレット提督という人が、この年、5か月にわたって勝手にビクトリア女王の名前のもと、ハワイを占領していたんだそうだ。
5カ月後に本国からやっと別の提督がやってきて、ハワイと英国の「対等な立場」を確認して占領をとき、その日、7月31日が「主権回復の日」として祝日となって、その盛大なルアウがひらかれたんだそうです。
で、そのとき英国から来た提督がリチャード・トーマスという人で、この人の名前と、主権回復を記念してハワイ最初の公園「トーマス・スクエア」ができたんだそうだ。へー!

そのポーレットという提督はその後どうなったかというと、その時の艦長の職は解かれたようだけど、別の船をあてがわれて、クリミア戦争に行ったりしてる。
当時の大英帝国にしてみれば、ちょっとしたフライング、くらいなものだったんでしょうね。


英国領になるのはまぬがれたものの、そのちょうど半世紀後、1898年にはハワイ王国はアメリカの領土にされてしまうのでした。

ネイティブハワイアンの中には、今でもハワイの主権を回復すべきだと考えている人たちがあり、彼らにとってこの「主権回復の日」はとても重要な祝日なのだそうです。

ここに1万人を集めたルアウってどんなだったんだろうか。

今回のハワイでは、イオラニ宮殿でのツアーに始まって、歴史をあらためて深く実感できました。

この廃墟にラクガキをしたりする心ない人がいると、少し前にニュースになっていたそうです。馬鹿者はどこの国にもいるものだ。

バカな人のユニバーサルな特徴は、ほかの人への想像力がはたらかないことですね。
んーわたしもあまり人のことは言えないな。




わたしはけっこう強力な晴れ女として友人に知られてるんだけど、この日は、この廃墟についた途端に大粒の雨がざーっと降ってきて、全然止む気配がなく、ずぶ濡れになってしまいました。

なにかとても大切なものを託されたような。心にのこる場所でした。


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2017/11/11

ホノルルの代官山 


脳内ハワイ遠足シリーズ。

年に4回くらいハワイに行けるようにしたいなー。
そうだ、ラウラウちゃんちで仕事すればいいんだな。(ΦωΦ)フフフ…


こちらはホノルルで、ラウラウちゃんと、マーケティングコンサルタント&翻訳者のAKIちゃんとそのご友人とお出かけしたカカアコの新施設「SALT at Our Kakaako」。 カメハメハスクールの基金が所有する物件のひとつだそうで、とっても地元志向。
ニューでオシャレなハワイのカルチャーを盛り上げようというコンセプトらしく、面白い商業施設でした。
オープンエアなのはハワイのデフォルト。


かわいいお兄さんのいるニューヨーク風のオシャレなデリでサンドイッチを買って、このクラフトビールとワインのテイスティングルームVillageに持ち込みでランチという素敵な企画。
AKI嬢の提案は、なんだかいつもさすがに洗練されているのだった。
このテイスティングルームは持ち込みまったくオッケーで、隣のテーブルでもふつうに食事してる子たちがいた。
女子4名、平日昼間からビールで乾杯。幸せ。
AKIちゃんは一見清楚なマダムふうなのに実は男前な性格で、しかも酒豪。ワインならボトル1本くらい空けてもぜんぜん平気でいらっしゃる。わたくしはすぐにタコのように赤くなってしまうため、お試しサイズ4オンス(上写真)で 充分。こういうサイズがあるのも嬉しい。


そのほかに、カフェもあり、ボタニカルブティックもあり、シンプルな服が並ぶブティックもあり。


カフェが奥にある植物ブティック「PAIKO」。シアトル〜ポートランド風でもあり、青山とか代官山とかにもありそう。


こちらはブティック。
ハワイもオシャレになったものです。世代が変わったんだなあ、と実感しました。


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2017/11/09

ホノルルのスイートホーム


冷たい雨のふる11月に、脳内だけホノルルへ。どこでもドアがほしい。

マダムMが帰国されたあと、ハワイ滞在のラスト5日間はホノルルにお住まいのラウラウちゃんちに泊めてもらいました。


もうこれもまた、ハレイワのメリーベスちゃんちと並んで、オールドハワイな風情でいっぱいの素敵ハウス。

芝生のお庭にはもちろんプルメリア。


マンゴーの木の下にピクニックテーブルがあり、ブーゲンビリアにパパイヤに、ビワの木まであるのだ。


いつも若干こまった顔をしている、番犬せんべいちゃん。


もう何が素敵ってね、都会なのに裏庭に広々とせんたくものが干せるこのエコな環境。
そして数時間で乾く!すばらしい。


おうちの中にもいろいろオールドハワイのエッセンスがいっぱい。
古いびんのコレクションとか。


ラウラウちゃんのオールドパイレックスコレクション!
日本で売ったら一儲けできまっせ。と焚きつけてみたが反応なし。



このキッチンにならんでいると可愛さ倍増なのである。


エアラインにおつとめのラウラウちゃん、2人のティーンエイジャーを持つ、さばさばしたカッコいいおかーさんです。




素敵ハウスなんだけど、これだけ芝生にかこまれているハワイの一軒家には、どうしてもゴッキーたちがやってくる。

玄関のところになぜか待機しているので、夜間の出入りは迅速に行わねばならないことを、到着当日にたたきこまれました。

奴らはほんとうに、待っているのだ!人がすこしでもうっかり広く扉を開けるのを。

「うっひょ〜」と必要以上にあわてふためくわたしに、
「ハワイはそういうところだから」
とクールに言い放つラウラウちゃんは頼もしかった。

そして一匹たりとも家の中に入れないその確固たるコミットメントと技に、脱帽。



毎週末にでも帰りたい、ホノルルのスイートホームです。

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2017/11/04

イオラニ宮殿の悲劇(その2)


カラカウア王は新しもの好きで、宮殿に当時最新技術であった電灯をつけるため、私費を投じて蒸気発電機を設置したそうです。

電話や水洗トイレまで完備。

この宮殿は明治15年完成ですよ。当時、まだホワイトハウスにも電気は引かれていなかったそうです。


立派なトイレ。



この宮殿は、完成からほんの10年ほどで、ハワイ王国が乗っ取られる舞台となってしまったのでした。

今回、森出さんにツアーで案内してもらいながら、そのひどい話をあらためてしみじみと実感できました。

1887年、サトウキビプランテーションなどの事業でハワイのビジネスを牛耳っていたアメリカ人実業家を中心とするグループが、カラカウア王の顧問役で王国の首相をつとめていたアメリカ人を追放し、王の権限を大幅に制限する憲法、いわゆる「銃剣憲法」の発布を迫ります。200人ほどの武装した一般人(全員白人)のグループがうしろについていたのだそうです。

アメリカ人実業家たちのグループが最終的に目指していたのはハワイをアメリカの領土にすることで、それはその後10年ほどで実現しました。

カラカウア王の死後、1891年に王位についた妹のリリウオカラニ女王は王権の復活を目指したものの、1893年にこの白人実業家グループの「革命」が勃発。
王国は「共和国」となります。

このときのリーダーで、共和国の大統領になったのは、パイナップル王国を築いたドールさんの従兄弟、サンフォード・ドール。



ハワイ最後の女王となったリリウオカラニ女王は、今もハワイの人々に深く敬愛されています。

アメリカ人の手によって起こったこの「革命」の話を聞いてびっくりしたクリーブランド大統領は、この共和国は違法であるとして女王に王権を戻すようはたらきかけますが、太平洋の真ん中のこの実業家たちは聞く耳もちませんでした。

女王は宮殿を退きましたが、当然ながらハワイアンたちの間には怒りに燃えて共和国を王政に戻そうと画策する人が多かったことでしょう。

共和国の政府にとっては、そんな動きはむしろ、良い口実になってしまいました。

翌々年、1895年、王政派のクーデターが未遂に終わった後、自宅から武器が発見されたとして、リリウオカラニ女王は謀反罪で逮捕され、裁判にかけられて、イオラニ宮殿の一室に監禁されます。

リリウオカラニ女王は流血を望まず、クーデターにもかかわっていなかったといいます。

女王は自分の宮殿に幽閉され、正式に退位を表明する署名をさせられます。

その3年後、ハワイ共和国はアメリカの領土となったのでした。


音楽の間には、リリウオカラニ女王が作曲した名曲「アロハ・オエ」の譜が飾ってありました。


リリウオカラニ女王が幽閉されていた部屋には、女王を記念するキルトが展示されてます。
クレージーパッチワークの真ん中に、日付が刺繍された布。

一つの布には、生まれた日、王位についた日などが刺繍され、右下の青い布には退位した日付と証人の名前が刺繍されています。


これは、本当に寂しい部屋。2階の東南側の、とても小さな部屋です。
これほどの悲しい出来事が刻みつけられたキルトに思いが残らないほうが不思議かもしれません。
リリウオカラニ女王の無念が目の前にかたちになっているようで、とてつもなく悲しくなりました。

でも女王は、退位を表明してからは恨みの気持ちを表したりすることは一切なく、ハワイの人々の暮らしの向上のために尽くしたそうです。



王座があった謁見の間。リリウオカラニ女王が謀反罪で裁判にかけられたのもこの部屋なのだそうです。

宮殿は、ハワイがアメリカに併合されたあと庁舎として使われ、調度品のほとんどは売り払われてしまったのですが、1970年代に宮殿を歴史的建築物として保存することが決まって以来、かつて宮殿を飾っていた家具調度を文字通り世界中から買い戻し、少しずつもとの姿を取り戻しているそうです。

じゅんさんによると、宮殿のツアーに参加した人が、飾られていたかつての室内の写真を見て、「この家具は家にある!」と気づいたこともあるのだとか。


孔雀の羽根をつかったドレスはレプリカだそうです。

ちょうど、この宮殿が完成した年は、大平原で米国陸軍と戦ったスー族のシッティング・ブルが降参した頃でもありました。

シアトル酋長が亡くなったのはそのもう少し前ですね。

19世紀半ばまでにすっかり片隅に追いやられた米国本土のネイティブ・アメリカンの人々とは違い、ハワイは一世紀近く独立した王国を保ち、その後抑圧された時期を経たとはいえ、20世紀後半に文化がまた花開いて、世界中の人々からロマンチックな憧れを持って愛されています。

その後ハワイに住み着いたいろいろな民族の移民にとっても、ハワイが好きで遠くからやってくる観光客にとっても、一度も行ったことのない人にとっても、ハワイはなんだかすごく明るくあたたかくポジティブな存在でいてくれる。

でもこの宮殿は、大国にねじ伏せられた怒りと悲しみを忘れてはいません。
当然のことだけれど、その怒りはまだ、今生きている人たちの中にも静かに流れています。

ハワイはほんとうに明るいポジティブなパワーに溢れた場所なので、ついそのあたたかさにだけ浸ってしまうけれど、ふっと日が陰った瞬間には、そういう厳しい歴史がじっとこちらを見ている場所でもあるのですよね。忘れられて良いことではないし、それどころかアメリカ人の中にはこの事実を知らない人が多いので、ちゃんと学校で教わってほしいなあと思います。

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