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2018/06/02

最後のクラス


なんだか知らないけど近所で満開の花!
香りもユリのように濃いよい匂い。

ハチたちが狂ったように働いています。



今日はついに、最後のクラス!まだ最終試験があるのだけど、講義はこれでおしまい。

これが、むやみやたらに長かったわたくしの大学生活!いちばん最後の!クラスだとおもうと感慨深い。

この言語学の講座は本当に面白かった。中間試験はB取っちゃったけどな。

1年生〜2年生むけの一般教養クラスなので、去年まで高校生だった子どもたちがほんとに多い教室でした。うしろのほうの席に座って見てると、コンピュータひらいてる子のうち半数はゲームしてたり動画見てたり買いものしてたりする。お前ら。
でもこういう子たちがさくさくと要領よく勉強して、よい点とったりするのよね。

ローラ先生はエンターテイナーで、250名くらいのキッズをがっちり掌握し、おしゃべりなどが聞こえればがつんと叱り、50分間まったく気をそらず、笑いもとってくれるという見事な講義でした。

今日のラストの授業では一番最後に、生徒たちからローラ先生に大きな拍手が送られてました。すごく大きな拍手で、ちょっとびっくりした。

ローラ先生は、お子さんがまだ6歳だというけど、たぶん40代半ばか後半。
染めてないグレーの髪をきちんとしたボブにしていて、かっこいいです。
よく通る声とクリアな発音がとても聞き取りやすい。 言語学博士だけに。

歴史のクラスや気象のクラスなど、以前に取ったクラスでも思ったのだけど、全体に、聞きやすくて面白く、引きこまれるのは女性の講師やゲストスピーカーが多かった。

アナウンサーや政治家のような、しゃべるプロの頂点にいる人たちでも、男性と較べて女性の発音/発声のほうが聞き取りやすいことが多い気がする。




今学期はこれともうひとつ、建築鑑賞というクラスを取ってて、こっちはさらに大きなホールでの、定員750名の巨大講座でした。

こっちの講師キャサリン先生も同じくらいの年代の女性(建築のPh. D)。
彼女はちょっと緊張しているようですごく早口で、すこし聞き取りにくかった。 でもキャサリン先生もかっこいい。ジョディ・フォスター似で、むっちゃ頭よさそう。子どもは2人、高校生と中学生(お子さんがビザンチン建築の写真に登場していた)。

どちらのクラスも、ずっと興味のあった内容なのでとてもおもしろかった。

今学期は2つのクラスとも、時間は短いのだけど月から金まで毎日行かなきゃいけないスケジュールでした。そんなん行けるのかほんとに、と申し込む前にしばらく迷っていたのだけど、これが実はどちらのクラスも後からウェブで録画された講義が見られるようになっているので、教室に行けなくてもキャッチアップができるのでした。素晴らしい。べんりな世の中だ。

あと、ローラ先生の講座では、スマートフォンまたはコンピュータで、その場で投票できる「Poll Everywhere」というアプリを使ってその場でクイズを出し、その回答数で(正解でも不正解でも)出席をとるという、画期的なシステムを使ってて面白いと思った。

このクイズに答えて出席率75%以上をマークすると、グレードに10%が追加される仕組み。

一方、キャサリン先生のほうは、講義中はパソコンもスマートフォンも閉じておきなさいという主義だった。

いままでの個人的な体験上での感覚では、コンピュータの持ち込みOKの先生と禁止の先生はざっくり2対1くらいの感じ。このポリシーの違いの統計を取ってみたら面白いかも。
 


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2017/11/07

ワシントン大学のシニア向け無料聴講制度


昨日の雪は止んで、今日はよく晴れた綺麗な一日でした。でもちょっと寒い。

本日のキャンパス。「レーニア・ヴィスタ」という噴水広場で、名前のとおりこの噴水のむこうの真正面にレーニア山がきれいに見えるのだけど、写真だとほとんどわかりませんね。


この噴水は、アラスカ・ユーコン博覧会のときに作られたものです。

この博覧会のことも以前、このブログの記事に書いたことがありました。
4年半前だわ、うわはは。


この左手の建物は、20世紀初めに建てられたスザロ図書館などの一連の建物に似せてつくった、バチモンじゃなくてえーと、疑似古典というのでしょうか。



カナディアングースの皆さんが忙しくお食事中でした。


授業開始前のお教室。

昼間のクラスはキッズばっかりでわたしがきっと最年長なのだと思ったら、意外にもシニア世代の姿が多いのだった。60人くらいのクラスに10人くらい、シニア世代がいらっしゃる。

その一人に聞いてみたら、 なんと、60歳以上のワシントン州民は、空きがあるクラスなら1学期につき2クラスまで無料で聴講できるんですってー。

ACCESS プログラムというのがあるんだそうです。アジア系の語学のクラスや研究室のクラスなど、受講できないクラスはいくつかあるらしいし、学部の学生が全員登録し終わってから空席があればどうぞということらしいですが、無料ですってよー。

「アメリカの60年代」ってクラスなので、実際その場にいた人の話が聞けて面白いし、若者にとってもシニア世代と一緒に勉強できるってなかなか良い経験なんじゃないかなと思う。

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2017/10/23

おばちゃん学生の秋学期


いかーーん、風邪ひいた!

ハワイから帰ってきたあと、すぐ秋学期がはじまっています。ていうかもう始まっていました。

いままでこの大学の「イブニング・ディグリー・プログラム」、すなわち夜間のクラスをとっていたのですが、そのプログラムが資金難のため、昨年度限りでなくなってしまった。

なので、今学期からは昼間の生徒になっているのです。

昼間のキャンパスは、人が多くてびっくり(笑)。そりゃいるよね。いままで薄暗いキャンパスばっかり見てたから(笑)。

そしていままではちんたらちんたらと1学期(3カ月)に1クラスだけ受講していたのを、今学期は思い切って2コマとっているのです。

まーフルタイムで仕事して、家庭もあって、フルタイム(3コマ)受講している人もいるからそんなの人からみたら全然どうってことないのだけど、読むのも書くのも遅いわたくしとしては、仕事の引受量を減らす覚悟で、もう今しかないや!と思いきりました。
そしたら5クレジットじゃなく3クレジットのオプションがあったので、ちょうどよかったのだった。



歴史の授業をふたつとってます。
「アメリカの60年代」と「トランプの時代の大統領政治」。

面白いー。面白いんですが! 明後日は中間試験で!

な・に・も!頭に!入っていない!
そしてさらに風邪ひいたー!

なんだろうかこのタイミング(;´д`)(;´д`)(;´д`)

甘酒とキムチとエアボーンという火器をいま目の前にそろえていますが。

良いお点がとれるように念力を送ってね!
( ー`дー´)( ー`дー´)



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2017/07/28

バイリンガルのコスト




(これはシアトルの南のほうで見かけた街角アート。作者さんは存じませんが、一筆書きっぽい力の抜けた顔がなんだか好き)

デジタルクリエイターズで先日掲載していただいた記事です。

編集長がまぐまぐに推薦してくださって、そっちに載ったら『日本の親が気づけない「子供をバイリンガルに育てたい」の危険性』というなんだか刺激的な記事になっていてあせる。危険って〜!その言葉は使わなかったんですけど〜!(;・∀・)

デジクリの編集長は「炎上するといいですね♡」って、おーい。

私にはとてもできないような努力を傾けて、慎重にバイリンガル環境でお子さんを育てている人もたくさん知ってるし、バイリンガル教育を全面的に否定してるわけじゃないんですよ。とわかっていただけるといいのですが。

ということで再録します。


(いま休館中のシアトル・アジア美術館で見たツボ)

(ここから)


日本では子どもの英語教育に熱心な親御さんが多い。

日本では義務教育で6年間英語を学ぶのにほかの国に比べて英語力が低い、なんとかしなければ、という議論をよく耳にする。小学校でももうすぐ英語とプログラミングが必修になるとか。

私は英語教育についてはまったくの門外漢でしかないが、大人になってから英語をなんとかかんとか身につけ、英語圏で生活して、英語と日本語の環境で子育てをした立場で、つまり日本の英語教育については完全に外から眺める立場で、思うことをちょっと書いてみる。

英語教育の現場に立っていらっしゃる方から見るとピントが外れていたり、何をいまさらと思われるかもしれないが、部外者の勝手な感想だと思ってスルーしていただければ幸甚である。

日本の、特に子どもの英語教育で違和感を感じるのは、それが「芸」としてのみ捉えられているようにみえるところだ。

日本の人は芸事が好きで、特に試験とレベル分けが好きだ。

お茶でもお花でもスポーツでも書道でも将棋でも、級や段が細かく分かれていて、少しずつレベルアップしていくシステムが浸透している。これが英語にも適用されていて、TOEICや英検などが英語力の目安になっている。

もちろん、レベル分けそのものが馬鹿げているなんていうつもりはない。
自分のスキルを一般的な基準に照らしてチェックするのは必要なことだと思うし、やる気にもつながる。

でも、子どもの言語力にこういう考え方を当てはめるのは意味がないと思う。

もちろん言語はスキルには違いないのだけど、同時に言語は文化であり、思考プロセスそのものの一部であり、その人の内面の大きな部分を構成する要素でもある。
そのことが、英語教育の議論ではほとんど無視されているように見えてならない。

バイリンガルとはなんなのか

ネットを見ていると、「子どもをバイリンガルに育てたい」と希望している人が多いことに驚く。海外で苦労しながらバイリンガル環境で子育てをしている人から、日本にいながらにして子どもに英語を身につけてもらいたいと熱望して英会話スクールやインターに通わせている人まで、本当にたくさんいるらしい。

でも彼らが子どもたちに望んでいる「バイリンガル」像ってなんだろう?というのが、よくわからない。

「バイリンガル」といっても、ものすごーく色々である。
私はハワイでもシアトルでも、実にありとあらゆるバイリンガルの人に出会った。

2カ国語で会議ができる人、読み書きはどちらか一方でしかできない人、聞くだけならわかる人、長年ハワイにいすぎて母語の日本語の方が怪しくなってきている人。

ハワイは特に観光業が主要産業で、日英両方が流暢に喋れる人はホテルのフロントからツアードライバーまでもう本当にたくさんいた。

有象無象のバイリンガルの中で最高峰の言語能力を持つのは通訳者の皆さんであるのは異論がないと思う。私は同時通訳ができるレベルでは全然ないが、通訳の勉強も少しだけしたことがあり、同時・逐次通訳者さんたちの超人的な技能を間近で何度も拝見した。

会議通訳の業界では、通訳者が仕事で使える言語(working language)をA言語、B言語、C言語と分けている。
参考:ワーキングランゲージ

A言語は「母語」。生まれ育った国(または地域、民族)の言語。

B言語は「完全に流暢に喋れる」が、母語ではない言語。
通訳者はこの言語への通訳もするが、多くの場合は逐次通訳のみ、同時通訳のみなど形式を絞ることが多い。

C言語は、聞けば「完璧にわかる」が流暢には話せない言語。通訳者は自分のC言語からB言語やA言語への通訳はするが、C言語への通訳はしない。

A、B、C言語を持つ通訳者はどの組み合わせでもレベルの高い「バイリンガル」だが、通訳者の間でもA言語、つまり母語を2つ持つバイリンガルというのは非常にまれだという。

中にはA言語を持たず、B言語のみ2つ持つという人もいると聞く。たとえば両親の仕事の都合などで、外国を転々として育った人の場合など、完璧な読み書きや会話の能力を2つ以上の言語で持っていても、そのどちらにも母語といえる背景を持たないこともあるとか。

ではA言語とB言語の決定的な違いはなにか、というと、私が通訳の授業を受けたハワイ大学のスー先生は
「子ども時代の歌や童話などに通じているかどうか」
「ジョークがわかるかどうか」
を例として挙げていた。

つまり、言語の背景にある文化の厚みが身についているかどうか、ということ。

文化はとてつもなく入り組んだ、とてつもなく膨大な情報だ。
言語の機微はその文化の一部。ある文化の中に生きる人が共有する価値観、なにがタブーなのか、なにがイケてるのか、といった皮膚感覚のような非言語情報まで把握していないと、冗談はわからないことが多い。

バイリンガル環境で子どもに2つの言語を完全に習得させようとするのは、2つの文化をまるごと理解させようとすることだ。それがどれほど莫大な情報量なのかがあまりわかっていない親御さんも、特に日本でバイリンガル子育てをしようと試みている方の中にはもしかしたらけっこういるのではないかと思う。

バイリンガル教育の投資効果

私は言語というのはコンピュータのオペレーションシステムのようなものだと思っている。

コンピュータのハードウェアにもスペックや個性があるが、OSをのせて初めてその他のアプリが動かせる。

日本語と英語のように構造の違う言語を同時に動かすということは、MacOSとWindowsを同時に走らせるようなもので、かなり脳のリソースを食うもの。しかもそのOSがふたつとも構築の途中であれば、構造全体がグラグラすることだってある。

子どもをバイリンガルに育てたいと思う親御さんは、それだけのことを子どもの脳に要求しているのだときちんと認識しておくべきだと思う。

これはうちの息子の教育方針について元夫と意見が割れてケンカになった時からずっと考えていることで、当時は理路整然と説明できず単なるケンカに終わってしまった。

元夫はアメリカ人で完全なモノリンガルだったが、子どもはバイリンガルにしたい、どうしてもっと日本語を教えないのか、といい、私は別にそんなしゃかりきに2言語で育てなくてもいい、頭の基礎が固まるまでは英語を重視したいという意見だったので、子どもが幼稚園に入る前に大変なケンカになったのだった。

思うにモノリンガルの人ほど、子どもをバイリンガルにしたいという過剰な期待を持ちがちなのではないかという気がする。

あんまり誰も言わないようだけど、一時的にせよ恒久的にせよバイリンガルになるかどうか、どれだけ早く第二言語を獲得して使いこなせるかは、教え方や環境よりも、むしろその子どもの生来の能力によるところが大きいのではと思う。特に小さいうちは。コンピュータの比喩でいうと、ハードウェアのほう。

音感やリズム感、運動能力と同じで、言語の獲得や記憶にも得意・不得意があるのは当然なのだ。

ごく一般的には女の子のほうが言語能力は高いようだし、同じような環境で育った兄弟にも言葉が早い子と遅い子がいる。

私は自分の息子が1歳くらいの時に、こいつは特別に言葉のカンがいい感じじゃないから、とくに2言語を強要するという無理はさせないでおこうと直感で決めた。

それも親の勝手であって、見ようによってはただ単に親の怠惰を正当化しているだけかもしれないし、貧乏で日本語補習校などには通わせられなかったという事情もある(その後結局離婚してしまったのでバイリンガル環境どころではなかった)。

でもその後も、この子は大学までアメリカで教育を受けるのだから、とにかく英語できちんと読み書きと算数ができるようになるのが優先、その次がスポーツと音楽、日本語は興味が持てそうなものを目の前に出しておくくらいにして手を抜こうと意識した。

結果、それで良かったのかどうかはわからないが、まあ全面的に間違いではなかったと思う。小学校からサッカーをやっていたのが自分の居場所になったようだし、特別優秀な子どもにはならなかったけどそこそこ普通の学力をつけて自分のしたいことを見つけられた。日本にも深い興味を持っている。日本語は小学生レベルで、もちろん仕事が出来るような日本語能力ではないが、本当に日本語を使う必要がでてくれば自力でなんとかするだろう。

お金と時間と労力は限られているから、何をやるかは何をやらないかの選択でもある。

バイリンガル教育に乗り気でなかった理由には、コストパフォーマンスの問題もある。
早期の言語教育というのは、投資効果があまり高いとはいえないと思うのだ。

高い言語能力を2カ国語で維持するのは子どもにとっても大変だし、親にとっても高いコミットメントが必要。時間もかかるし、お財布にも脳にも相当な負担がかかる。
仮にそうして完璧なバイリンガルに育ったとしても、それで生涯の収入が約束されているわけではないし、逆にそのことでキャリアパスへの意識が言語のほうに偏ってしまう可能性もあるのではないかと思う。

2つの言語ができるというのは確かに素晴らしいスキルではあるけれど、職業的な成功の上で最も大切なスキルではない。

それに、早い段階での言語能力は大人になってからのスキルや能力と直結しているわけではないと思う。

(ちなみに第二言語の獲得に臨界期があるというのは不思議な都市伝説だと思う。通訳者も含め、第二言語をアカデミックなレベルで使いこなしている人には中学や高校以降にその言語を学んだ人が多い。直接の知り合いで日本語の複雑な資料を読みこなせる英語のネイティブが5人いるが、その全員が高校以降に日本語を学んだ人だった。そのうち1人は中国語もほぼ完璧で、現在は米国資本の銀行の上海支店長かなにかをしているらしい。日本人で米国の会計士や弁護士の職についている知人も中学以降に英語を始めた人ばかり。逆に、小さい時からバイリンガルの人には意外と向学心がなかったりする場合もある。)

子どもは覚えるのも抜群に速いけれど、忘れるのも速い。就学前に異国で学んだ第二言語を故国に帰ったらすっかり忘れてしまったという例もたくさんある。

中学生くらいまでは、子どもの脳はフル回転で情報を整理して世界を構築している時期だと思うのだ。不要な情報はさっさと忘れてしまう。
だから、その時期に子どもの獲得した言語能力について一喜一憂するのはあんまり意味がないことだと思う。

子どもにとってもっと大切なことは、他にある。

身体にそなわった感覚をフルに使って経験値を高めること、思考力を鍛えること、安定した自信を築くこと、他の人への共感を深めること、コミュニケーション力をつけること、知りたいと思う意欲を伸ばすことなどだ。もしも、第二言語を身につける努力のためにそういった能力を伸ばす機会が大きく損なわれるなら、それはとんでもないコストになる。というのが、私がうちの息子に第二言語である日本語をプッシュしなかった言い訳だ。

とはいえ、バイリンガル教育がいけないとかムダとかいうつもりはまったくない。
優れた教育の場で複数の言語に触れながら育つのは素晴らしいことだと思うし、2言語をバランス良く獲得することが心や身体の真の基礎力をさらに伸ばすことにつながる幸せなケースもたくさんあるはずだ。

ただ、本格的なバイリンガル教育には教育者や保護者の慎重なサポートと相当のコミットメントが必要なのは間違いないし、子どもに合う合わないもあると思う。同じように教育しても同じレベルのバイリンガルが出来上がるわけでは決してないのだと思う。

英語ができると何がトクか

早期の英語教育はムダだといいたいわけでもない。

英語(だけでなく他言語)に触れる機会は早くからあった方がいいと思う。

他言語で考える練習や異質な文化体系に触れる体験は多いに越したことはないし早いに越したことはない。その体験は、音楽や体育と同じように、経験値を上げて脳の基礎力を上げることに役立つと思う。

でも、子どもに英語を学ばせる目的を、大人のほうがもう一度整理した方がいいんじゃないかと思うのだ。

目的は「英語ができるとカッコいい」ではないはずだし、漠然とバイリンガルにしたいというのなら子どもにとっては迷惑な話だ。

小学校に英語が導入されても、「芸」の進み具合を測るテストが増えるだけでは本末転倒だと思う。

「将来、世界に向かってきちんと意見が表明でき、情報が読みこなせるレベルの英語力をつける」というのが目的なら、まず、英語を話す世界に入っていくことのメリットを子どもたちに説得できなければだめだと思う。

「芸」としての英語ではなくて、生きている文化として、リアルな社会のツールとして、考えるツールとしての英語とその先にある情報の世界が、自分にぜひとも必要で入手可能なものとしてリアルに感じられないとモチベーションにはならないし、本当の知的刺激にもなり得ないと思う。

小学校で英語を導入するとしたら、その英語を使って手に入れられる多様で魅力的な世界をリアルに体験させてあげること以上に、大切なことはないんじゃないかと思うのだ。

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2017/05/09

マロニエと白眼教室


先週の半月。もうすぐ満月。時は流れる容赦なく。
良い天気になってきたシアトル。でも朝晩は冷える。


マロニエが咲いてます。
過去記事をみたら、 おととし、この同じ場所(ワシントン大学構内)で撮った写真をアップしてた。

今学期はこの建物(「COMMUNICATION」と書かれている。「コミュニケーション学部」なのか、よく知らない)で夜間クラスをとってます。
7時開始だけど、夏時間でもう9時すぎまで明るいので、授業の前はまだ夕方の気分。



クラスは3階で、エレベーターなしのビルなのでおばちゃんには階段がつらい。2階の踊り場でいったん休憩する。その窓越しに見える景色。
(追記:学期も終わりに近づいてから、ビルの反対側のすみにエレベーターを発見。そりゃーあるよねw)


外の芝生には子ウサギがおった。大学構内は近くに植物園とか公園もあるのでけっこう野生動物が生息していて、息子はコヨーテもみたことあるといっていた。

今学期のクラスはRhetoric of Religion(宗教の修辞学)。

…なんと学生が全6名という超ミニクラス。あけてみたらこんな生徒数だったそうで、初日に1階の中サイズ教室から急遽3階の会議室みたいな部屋に変更したという。

そして先生(38歳)もクラスメートたちも早口すぎてディスカッションについていけなくて、わたくしは毎回静かに白目になって座っている。

ただでさえ普段から人の話をちゃんと聞いているつもりでも気づくと意識がウロウロしていることが多いのだけど、このクラスでは一瞬意識がさまよった瞬間に百億光年くらい置いていかれている。

もうおばちゃん新しい言葉は覚えられませんし。

こんなわけわかめなテキスト、飛ばし読みとかできんし。

だいたい普通に読んでも、なにいってんだか意味不明だよー。
5週間めでプラトンからアメリカの清教徒まで。情報量が多すぎーーー。

お題はたしかに、面白い、はずだった。3年くらいかけてゆっくり読めるならばだ。10週間では咀嚼できん。
あまりにも遅い頭の回転に死にたくなる。ちがう、私が遅いんじゃなくて世の中のほうが速すぎるんだー。同じか。

今週は中間試験(´・ω・`)。せめて落第しないようにしなくては(´・ω・`)。


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2017/03/19

惑星チョコレートと鬼のグローバル講座


誕生日にカリフォーニア在住マダムから頂いた、惑星ふうのチョコレート。
食べるのがもったいない。

ああいそがしかった。忙しい忙しいといってるのはダメな人だというのは本当ですねぇ。

今学期はオンラインで、これなら楽勝だろうという下心でとった今学期の「Globalization and you」というカジュアルな名前の講座が、けっこう大変だった。

最近取った講座は提出物がかなりライトなのが多かったので、ちょっとびっくりしてしまった。

かなり後半になってからペーパーを書くのに参照資料をけっこう読まねばならないことに気づき、仕事も重なってきたので泣きながら仕事のあいまに資料読み。
なので誕生日どころのさわぎではありませんでした。いい年して一体なにやってんだ。

ペーパーがダブルスペースでなんと32枚という、卒論か!というボリュームで(中身はぜんぜん密度の濃いもんじゃないですけどね)、しかもそのあとに100問の最終試験があるという(オンラインだけど)、 鬼講座だった…。毎週にはこれに加えてディスカッションと小試験があるので、それに気をとられて、期末にこんな爆弾が二つも残っているのをきちんと認識していなかった。
たぶんインストラクターがまだ若くて博士号とったばかりの人なので、張り切りすぎているのではないかと。もしかしてこれが最初に受け持ったオンラインクラスなのかもしれません。

アメリカの大学は、期末に「このクラスはどうでしたか?」という学生による評価がある。今回は辛めの評価をさせていただいた。
課題のボリュームは大学のクラスにしては特別大変すぎるというわけじゃないけど、インストラクションがあんまり組織だってなくて、あちこちに矛盾があってイライラさせられた。

しかし内容は、グローバリゼーションとネオリベラリズムという、一度腰をすえてちゃんと考えてみたかったお題だったので、とてもおもしろかったです。

世界はたいへんだ。

しかしクオーター制って10週間で講座が終わるので、ほんと忙しい。 おばちゃんには、ついていくのがやっと。

来学期はオンキャンパスで講座を取ります。お題は「Religious Rethoric」これもたのしみ!


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