2011/01/15

言葉のトレンド



数百年間の言葉の趨勢がわかる。

Google Ngram Viewer がおもしろい。

Google がこれまでにデジタル化した書籍520万冊に出てくるすべての言葉、約5000億語をコーパスに、任意の単語や熟語、フレーズの登場頻度の変化を、時系列グラフで表示してくれる。コーパスに使われているのは、15世紀から2000年までの書物。

なにができるのかというと、言葉の用法のはやりすたりを検索したり、あるモノや現象や人物などに対する世間の関心の高さの移り変わりを数量でみることができる。

たとえば、「tofu」と「hot dog」を検索してみると1980年代からトーフが急激にのび、ホットドッグを追い越している。
「missile」は1960年に激増して、いったん減り、80年代後半にまた急増。

「God 」と「human」を入れると、やっぱり1960年代に神様からヒトへ、ヒトの関心が移ったことがわかる。


年号のリンクをクリックすると、その単語がでてきた出版物のページに飛んで、中身をみることもできちゃう。

残念ながら日本語はまだないけど、ロシア語、スペイン語、ドイツ語、フランス語、中国語、ヘブライ語もあり。英語はイギリス英語、アメリカ英語、フィクションなどの選択肢もある。

 しかし520万冊。5000億語って、並べてみたらどのくらいの広さなんだろう。
A4サイズ1枚で仮に500語だとして10億枚分。地平線のかなたまで単語が敷き詰められた大空間を思い浮かべてみる。その中を一瞬で検索して数えて計算してグラフをつくってくれるって、すごすぎる。

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2011/01/13

ベリンガム

先週末はBellingham (ベリンガム、あるいはベリングハム。Hをはっきり発音する人もたまにいるけどそんなに多くないみたい)。シアトルからは北へ約2時間。ハイウェイをひたすらまっすぐ北上する。息子のサッカーチームのトーナメント参加のため…だったのが、途中、ハイウェイで突然空が暗くなってこんな雪が降り出した。
うわーうわーといいながら10分も走ると、すっかり地面が乾いていて雪のひとひらも降った気配がない。空にも晴れ間が見えている。にわか雪というのか、通り雪というのか、つかの間の吹雪。

空は晴れていたものの、グラウンドには朝方降った10センチくらいの雪がつもってて、試合は中止。せっかく2時間ドライブしてきたのだから街の見物にでかけた。その前にとりあえずスーパーのTARGETに寄ったら、駐車場にはカナダのナンバーをつけた車が多かった。カナダ国境はここから30キロくらい。お買い物圏なのだ。


とりあえず市街へ行ってみたら、アンデルセンのお話に出てきそうな建物があった。市庁舎らしい。前の広場もすっかり雪に覆われていて、どこか北の小さな国の首都のような風情。

港のほうには工場がちらほら。

 北国のつめたい空。北緯48度、パリとほぼ同じ。ベリンガムって、『マディソン郡の橋』の主人公と恋に落ちるカメラマンが住んでいるって設定だった。物語そのものよりもその設定に説得力がある気がして、忘れられない。北のはずれのひっそりした、でもあまり田舎びていない小さな街、というようなイメージだったのだが、ほぼ想像通りだった。

 雪の日曜日の朝にあいているのはカフェくらい。
 試合のユニフォームを着たままの高校生は車から出るのを拒否するし、ブーツのつま先から雪がしみて来るし、特に予習もしていかなかったので、ぐるっと一回りしたあと、市庁舎の近くでドーナツとコーヒーを買って、またハイウェイに乗った。

 そうだ、その手前のアンティーク屋さんもあいていた。『Garden States』のサントラがかかってて、店主らしい中年女性が店番をしていた。


 「ロケットドーナツ」。店内には火星人の頭や等身大模型が陳列されている。店の外には小型ロケットが停泊中。

 ドーナツもちゃんとおいしかった。オールドファッション評論家の息子によると「ミスドよりおいしい」四つ星評価だそうです。
また雪のないときに、ゆっくり遠足に行ってみたい。

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2011/01/11

FOB

Capitol Hill

映画『Amreeka』(2009年)で、パレスチナからシカゴ近郊に移民したばかりの高校生の男の子に、アメリカで育った従姉妹が

「そんな服着てたら一目でFOB だって思われるわよ」

という場面があった。

高校生の息子を連れて、占領下のパレスチナから妹の家族を頼ってアメリカに移民する中年シングルママの苦労話で、地味だけれど切なくも癒される、しみじみとした良い映画だった。 プライドが高くバイタリティいっぱいで、次々に災難に見舞われてもめげないお母さんの運命は、同じ年頃の息子をもつシングル母としてはもう本当に人ごととは思えず、思わずコブシを握りしめて応援したくなる。

International Districtの中華ビル
で「FOB」。貿易用語の「本船甲板渡し条件(Free on Board)」のことではもちろんなくて、「Fresh Off the Boat」の略。ついさっき外国からの船をおりてきたばっかりのような、まだ当地に馴染んでいない移民のことなんだそうだ。

もちろん、移民船や難民ボートでアメリカにたどり着く人は、フロリダあたりはともかく西海岸には今時分あまりいないが、とにかく「ボート降りたて」のようなニューカマー、という意味らしい。ウェブ辞書によれば、語源はハワイで、もともとは本土から来てハワイの文化を理解していない白人のことを指した、という説もある。
 
 シアトル市内の高校に通っているウチの息子によると、ハワイでもシアトルでも、この言葉はよく使われているという。「あいつFOBだぜ(笑)」というような感じらしい。発音は「エフオービー」ではなくて「フォブ」という、そうです。

学校のキャンパスでFOBと認定されるのは、英語が流暢でないことのほか、「だれも着てないような服を着ている」点が、やはり大きいそうだ。
個性的というのではなくて、アメリカのティーンエイジャーなら誰でも理解しているところの服装コードがインプットされていないということ。靴底の厚さとか、パンツの裾の長さとか、Tシャツに書いてある文字とかのディテールがあり得ない服を着て学校に行ってしまう。

Westlake Ceterのフードコート
アメリカは建国当初から移民の国。今でもどんどん流入は続いている。ハワイなんか、100年以上前からアジア系移民が過半数を占めている。
シアトルは、全体では白人率が7割くらいだけれども、アジアやアフリカの人もよく目につく。シアトル市の南部にはソマリア人の大きな移民コミュニティがある。うちの息子のいるサッカーチームに最近入ってきた足の早いフォワードの選手もソマリア生まれ。

シアトル市内の公立校に通う生徒たちが話す言語は、129種類にもなるそうだ。州が市民サービスのために用意している認定通訳の言語は、カンボジア語、ラオス語、韓国語、ベトナム語、広東語、北京語、スペイン語、ロシア語、とやはり環太平洋なラインナップ。

移民のあるところ、常に問題はおこる。空気も読めないし洋服のセンスも違う「FOB」であった人たちやその子どもたちが、社会の構成員になって、社会の常識のほうが少しずつ変わっていく。衝突や軋轢を経ながら、すごい勢いでどんどん変わる文化はアメリカの一番の強みでもある。

伝統文化がない分、だれもが<建前としては>同じ土俵に立っている。アメリカ文化は言葉とロジックと服装コードでできているから。両親がどこの国の人であっても、アメリカで生まれればアメリカ人だし、どこの国で生まれても、祖国をアメリカと決め、アメリカの法と常識に従うことを誓えば、正当な「アメリカ人」となる。

この間久々に大相撲を見たら、外国人のお相撲さんがめちゃめちゃ多くて驚いた。日本の国技がこんなに国際化してるなんて、しらなかった。こんなに全力をつくしてお相撲界のコードを土俵の上でも外でも身につける努力をしている若い人たちも、それでも決して「日本人」と日本人からみとめられることはないのだろう。ていうか彼らは「日本人」になりたいと思うのだろうか。

日本には、外国人が日本人になるコードが存在しない。流暢な日本語を話し、日本人以上に日本文化を深く知る帰化した人であっても、その人が外国から来た以上、その人を「日本人」と呼ぶ日本人はたぶんそんなにいないだろう。まだ今のところは。

「社会の懐の広さ」とか偏見とかは、実は数量的条件で決まるのだと思う。
良くも悪くも30年後、50年後には日本人による「日本人」の定義も変わっているかもしれないけど、それは多分、日本国籍をもつ人がどれくらい多様化しているか、それに応じて社会常識がどのくらい変わってるかに比例して、やっと変わるのだと思う。

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2011/01/06

河原のベル


Elbe(エルベ) の小さな教会の後ろにレーニア山から流れてくるNisqually(ニスクワリ)川の広い河原がひろがっていて、ここからダム湖が始まっています。



 氷が少し溶け始めるくらいの気温で、河原の石や流木に奇妙な造形がたくさんできていました。




少しゆるんだ川面に並ぶ、ガラスの釣り鐘のようでした。



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2011/01/05

レーニア山麓の食堂車



レーニア山麓の小さな村、Elbe(エルべ)。(Google マップ表記は「エルブ」ですが、「エルベ」のほうがドイツっぽい気がするので)

シアトルからは120km くらい南、タコマの町から60km くらいの山中にある。そのまままっすぐ山を上っていけばレニアー山国立公園で、ここから右手へ、セント・へレンズ山の方に向かう道が出ている、T字路の村です。
木材産業で栄えた時期もあったらしいけれど、現在の人口は21人だそうです。


小さな駅と、朽ちた古い機関車があります。


 「きかんしゃやえもん」みたいな、かわいらしい小さな機関車。かなりぼろぼろです。

昔、タコマからもっと山の中まで通っていた列車は廃止されて久しく、木材会社が線路を買い取って使っているらしい。

この線路に、不定期/期間限定で、ほんものの蒸気機関車が走るのだそうです。


機関車好きおじさんが私財を投じて購入して保管していた(機関車が家にあるっていうところが、さすがアメリカ)蒸気機関車を線路で走らせるために、Mount Rainier Scenic Railroad という機関車ファンのための機関車ファンによる団体を創設して、年に何度か走行させているのだそうです。

小さな駅は、そのレーニア鉄道運行のために新しく建てられたもの。
山麓を走る蒸気機関車、ちょっと見てみたいです。 

線路脇に打ち捨てられたような古い食堂車を使ったダイナーでランチにしました。

クラシックなイチゴいりレモネード。

私はなぜかそそられたビーフレバーのステーキを、息子はふつうのバーガーを注文しました。
茶色のグレービーがたっぷりかかった、ホームメイドのガーリックマッシュポテトがおいしかった。洗練されてもいないし、何か格別に感動するほどおいしいものがあるわけでもないけれど、量はがっつりで、アメリカ人のいう「hearty meal 」というのの見本のような、家庭的なお食事処でした。ウェイトレスのおばちゃんはperky で感じがよくて、いかにもダイナーな雰囲気が楽しめました。


デザートのブレッドプティングは………

豪快に大噴火していました。これがアメリカ流<おもてなしの心>なのです、きっと…。




近くには、馬たち(「マスタング」だそうです)を散歩させているおじさんもいました。毎年、元日に遠乗りに行くのだそうです。


エルベの町のランドマークは、20世紀初頭にドイツ系移民の手で建てられた小さな木造教会。

いかにもドイツ系開拓民の教会らしい質素で清潔な教会堂は、いまも信者さんの手できちんと掃除が行き届いていて、毎月1回は礼拝が行われているとのこと。

遺跡のようでもあり、したたかに生き残っているようでもある、山麓の村でした。

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2011/01/04

タコマ山


快晴の元旦、レーニア山麓へ。山はホイップしたてのクリームのようでした。

レーニア山はシアトルの南90km くらいだから、東京から富士山の距離(約100キロ)とそんなに変わらないのに、標高が高いからか(レーニア山は4392m)、シアトルから見るこの山は、東京からの富士山よりももっとずーーっと大きく見えます。

とはいっても、シアトルは曇天の日が多いので、山が見える日はむしろ稀。
あまり稀なのでほとんど存在を忘れてしまいかけているところへ、珍しくパキっと晴れた日、青空を背景に巨大な白い山の姿が突然ビルの後ろに出現するので、見るたび感動するのです。

この山にMt. Rainier という名前はなじまないと思います。

もう百年以上そう呼ばれているのはわかっているけど、できることなら今からでも変えてほしい、と思う人、わたしだけなのでしょうか。

レーニアさんというのは、この辺を18世紀末最初に探検した英国人船長バンクーバーさん(この人もいろんなところに名前を残しています)の友人だった英国海軍将校の名前です。

辺境に「発見」した雄大な山に、バンクーバー船長は自分の友人の名を冠しちゃったのです。

当時の大英帝国海軍船長にとってはまったく疑いもなく正当な行いだったのでしょうが、縁もゆかりもない人の名前を勝手につけちゃうなんて、山にとっては失礼千万なこと、この上ない。

当時レーニアさんは東インド諸島の司令官をしていて、その後まもなく本国へ帰って亡くなっているから、自分の名前のついた山を見ることはついになかったのだと思われます。

もちろんこの山には白人が来るずっと昔から別の名前がありました。
この地の人びとは「mother of waters」を意味する「Tahoma」という名でこの山を呼んでいたといいます(「偉大な白い山」という意味だという説も)。


もっと後から来た日系の移民は、もちろん「タコマ富士」と呼びました。日本人なら、この山を見てまず間違いなく、あー富士山だ、と思うでしょう。

私も、最初にシアトルに来たとき、飛行機の窓から朝日を浴びたこの山を見て、あっ富士山がある!と思ったのでした。富士山があるところなら大丈夫だな、と、なにが大丈夫なのか意味不明ながら、ひと安心した気がします。



ハワイでは、一部をのぞいて地名はすべて古来のハワイ語の名前が保存されています。
土地と、その場所にまつわるスピリチュアルな存在に対するネイティブ・ハワイアンの思いは今でも血の通ったものとして受け継がれています。

先住のハワイアンの血をひいていない住民たちも、ハワイ語の土地の名前を自分たちの文化として尊重しています。

デベロッパーが新しい住宅街を作るときも、道の名前はすべてハワイ語で新しくつけられます。

そんな土地と名前との関わりに馴染んでいたから、こんなに雄大な山に、土地に縁もゆかりない白人がそのまま冠されているというのが、ものすごく無神経なこととに感じられます。

もちろん先住民たちにしてみれば不本意なことでしょうけれど、ハワイとは違い圧倒的な白人社会の中で、抗議の声がまとまることなどないまま、19世紀から20世紀初頭にかけていろいろな土地の名前が定着していったのでしょう。(ウィキペディアの記事によれば、最後にレーニア山の名前をタコマ山にするかレーニア山にするかが議題にのぼったのは、1920年代のことだったそうです)。



そういえば、日本に帰ったときに「Mt. Rainier」という名前のコーヒー飲料をコンビニでみつけてびっくりしました。

スタバ風のパッケージにレーニア山の絵がついてる缶コーヒー。日本の広告屋さんが作った「シアトル風」ブランドなんですね。こっちで売ったら意外にお土産として喜ばれるかもしれません。

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2011/01/02

ニューイヤーの花火

あけましておめでとうございます!
2011年が平和で実りの多い年になりますように。

前年は日本で年越しをしたので、今度がシアトルで過ごす、初めてのニューイヤー。
真夜中近くになって思い立って、息子と二人でアルカイ・ビーチの近くへ、スペースニードルの花火を見に行った。

湾のむこうにダウンタウンのビルとスペースニードルの見えるビューポイントはどこも大混雑で、もちろん駐車スペースなどあるわけがなく、渋滞で動かないのをいいことに消火栓の前に停めて車の中から花火を見物した。写真は息子が道を渡って公園で撮影。クレジットはこちら。


スペースニードルの後ろで花火があがるのかと思っていたら、スペースニードルから花火が吹き出してきて感動した。タワーの胴部分から横向きに赤い小さな火が一列に並んで出て来るところなんか宇宙ロケットのようで素敵だった。花火は10分くらいで終了。

アメリカの花火は、独立記念日と大晦日のもの。家庭で花火ができるのは7月4日と大晦日の数時間だけで、自治体によってやって良い花火の種類や時間が細かく決められている。
花火売り出しの期間も数日間だけ。こちらでは、規制のないインディアン居留地に花火スタンドがたくさん出るようだ。
シアトル市内では花火は全面禁止で、ホノルルに比べたら驚くほど静かな年の瀬だった。どちらにしても本土では独立記念日のほうが花火的には大きな祝日のようで、年末に花火が集中するハワイとはかなり違う。

ハワイの人の花火好きは尋常ではなく、毎年独立記念日と大晦日は大変なことになる。
とくに大晦日。
爆竹を何千発も吊るして壮大な音をたてるのが伝統なので(ええ、民家の軒先ではしごを出して)、住宅街には音と煙が充満して、爆竹や花火のかすが道に散らばり、市街戦のような景色になる。
気管支をいためる人も出るし、毎年のように、だれかが火傷したり、指をなくしたり、家が焼けたりというような惨事がニュースになる。

年の瀬のご近所爆竹パーティにうんざりしている人は少なくないようで、ホノルル市では昨年、今年から花火も爆竹も全面禁止にする議案が提出された。花火と爆竹に毎年何千ドルものお金と情熱を費やす市民があれだけいるのに、そんなものがすんなり通るわけない。結局「爆竹はひとりにつき5000発まで購入可」という法案になって可決されたようです。あんまり変わらないと思うんだけどー?

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