2011/04/12

巨大すぎるつくし

おだやかな春日和です。

ワシントン湖畔(東岸、ケンモア付近)の公園で、つくしを発見。

しかーし。サイズは、エクストララージ。

(手モデル、Kaoru様。ご協力ありがとうございます)

これは本当に同じ植物なのでしょうか。
土筆の英名は「horsertail」。スギナの形状からなんでしょうね。
たしかにこの大きさなら、原寸で馬の尻尾。



これでは佃煮にはならないと思われ。
この大きさだと、土筆の形状って、ぜんぜんかわいくない…。



ツタをかき分けて出てくる一団。
春の野原より、恐竜時代のジャングルのほうが似合う。ジュラシックパークにありそう。

 

今日は本当に一日、おだやかな春の空だった。
公園の芝生にはデイジーも咲き始めて、いつのまにかまわりが新緑でいっぱい。


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2011/04/11

Harvest



今ごろになって人気ドラマ『Grey's Anatomy』をNetflix のストリーミングで見始めた。そういえばこれ、シアトルが舞台だったのか、と最初のエピソードを見て思い出した(遅。

スペースニードルやフランク・ゲーリー作のうねくったEMPが毎回ちらっと出てくると、お、と思うようになったな、と思う。(ワイキキビーチやダイヤモンドヘッドにも、今でも、お、と思うけど)だいぶシアトルが目に慣れて来た。メレディス達が住む古い一軒家も、いかにもシアトルらしい。あれはどのへんなんだろう。高速の近くのショットがあった気がするけど。

字幕なしではとてもじゃないけど医学用語が飛び交う「OR」(operation room、手術室)の中の医者同士の会話は拾えないのだけど、このドラマはあまり医術自体が中心ではないのでストーリーを追うにはぜんぜん困らない。

でもその中で、衝撃的だったのが harvest という言葉。
はずかしながら全然知らなかったのだけど、harvest には穀物や野菜の収穫という意味のほかに、医療の現場で「臓器の摘出、採取」という意味があるのですね。
ほかに使うことを前提にした場合の摘出。
 
ドラマでは、脳死と判定された患者の前に臓器を取りに来た医師がずらりと並び、それぞれ患者から取り出された目的の臓器を受け取ると、ピクニック用に使うのと同じ形の小型のクーラーボックスに納めて、臓器を待つ自分の患者のところへ急ぎ去る。

まるでハゲタカのよう」という主人公の心の声のナレーションと重なって、一番印象的なシーンだった。

日本で初めて、15歳以下の患者の脳死が判定されたというニュースを見て、この言葉を思い出した。

子どもの脳死判定について慎重になるのは当然だとおもう。今回の記事でも、わざわざ、「虐待などの事実がなかったことを確認した」とあった。

臓器を唯一の希望として待っている人がいる一方で、まだ血を送りだしている健康な心臓を自分の息子の体から取り出すことを承諾するというのは、どれほど辛いことだろうか、想像するだけで血の気が引きそう。

ニュースによると親御さんは「彼の身体を役立てることが、彼の願いに沿うことだと考えた。身体の一部だけでもどこかで生き続けていると考えると、彼を失ったつらさや悲しみから少し救われるような気がしている」とコメントを出している。
その気持ちは想像してみることしかできない。

harvest というのはあまりに重い言葉だ。




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2011/04/08

満開


ひさびさの快晴。時々晴れ間はのぞいてはいたけど、このところどよんと雨続きで、こんなに日の光を浴びたのは何週間ぶりだろうって感じ。
桜も満開です。上はバラードの住宅街。

 こちらはUW(ワシントン大学)。

シアトルの桜の名所ということになっている。

このところ寒かったから、(気温、昼間でも10度C以下の日が多かった)花が長持ちする。

これは約2週間前、3月28日のUW。


こちらは本日(4月8日)。ほとんど変わってません。2週間連続満開って、関東地方ではあり得ないよね。

お天気で金曜なので今日は人出が多かった。
学内なのでもちろんカップ酒を片手に宴会している人はなく、芝生に寝そべってテキストを読みふけっている学生諸君もいてアカデミックな花見。もちろんただ寝そべってる人も、コドモ連れや犬連れも、木に登っちゃってる諸君もいた。みんな久々に青空を見て静かにはじけちゃてる感じ。

このところニュースを見れば心配なことばかりだし、ほかにも鬱々とすることばかりでかなり精神的にやられていたのだけど、日なたに出たら元気になった。やっぱり太陽って偉大 。

今学期からUWのコースを取ることにしました。社会人向けの夜間コースというのがあって、学期ひとコマずつでもちんたら取ってよいというのです。こういうところが本当にアメリカの大学ってフレキシブル。



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2011/04/03

クリスマスローズ

Christmas rose (クリスマスローズ)。別名ウインターローズ。

花壇にほかの花がない、まだ朝晩地面が凍りつく頃からひっそりと咲き始める。バラとは何の関係もなくて見た目も全然似てないと思うのだけど、ヨーロッパではクリスマスの時期に咲く貴重な花>花と言えばバラ>夏のバラの面影を忍ばせる、という存在の花であったようだ。

Google books をちょろっと見てみたら、1922年の本にこんな詩が載っていた。

Pale winter roses, the white ghosts
of our June roses,
Last beauty that the old year boasts
Ere his reign closes

冬の庭に群れ咲く白い花は、6月の庭に咲くバラの幽霊のようだ、という気分はわかる気がする。ヨーロッパの暗い冬にはなおのこと、死に絶えたような庭の一すじの希望的存在だったのだろう。

この辺ではクリスマスをかなり過ぎた1月末くらいから咲き始めて、まだまだ咲いている。


良くみると、トロピカルな風情もある。

上記本によると、ギリシャではこの花の根から取った薬は、頭をハッキリさせるために哲人に用いられ、フランスでも少し気の触れた人を正気に戻すための薬として使われていたのだとか。でも沢山使うと猛毒だそうだ。



花言葉は、「Relieve my anxiety(私の不安を取り除いてください)」。



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2011/03/29

雨の日のアンドロメダ


雨の朝のアセビの花に、ハチが雨宿り。


シアトル近辺の住宅街ではとても良く見かける、馬酔木(アセビ/アシビ)。
かなり大きく育った木も多く、ミニチュアのシャンデリアのような花がたくさん垂れ下がっている。
遠目にはあまり派手な花木ではないけれど、近づいて良くみると可憐で豪華。

白花も。
花の時期は長い。気がする。
この木は鹿が食べないので、奈良公園にはたくさんあるのだと聞いた。
春先の奈良に一度行ったときには気づかなかったな。鹿にばかり気をとられて…。焼き芋も取られた。アグレッシブな鹿たちだった。

 英語名はAndromeda (アンドロメダ)。
銀河の星のようにたくさん花がつくから、なのだかどうか。


雨の日の花にはまた格別な表情があります。

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2011/03/27

沈丁花

雨続き。
シアトルでは、あまり多くないけれど、沈丁花も時々見かけます。



今お留守番中のNさんの丹精したお庭にも、玄関わきに沈丁花がいま満開です。


東京ではたしか2月の末頃に咲いていた記憶がある。春の一番最初に咲く花で、まだ鼻がかじかむほど寒い冬の朝、通学路沿いに植えてある沈丁花の前を通るのが楽しみでした。


中国では瑞香花というそうです。そのままの名前ですね。



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超満月の日

先週末のイベント報告です。

「超満月」の舞踏の夕べ、とても素晴らしかった。かなり仕事が立て込んでいてどうしようかと思ったけれど、本当に行ってよかった。




場所は、シアトル道教寺院。「寺院」じゃないのかな。
すみません、道教(タオイズム)のことはなにも知りません。

Taoist Studies Institute  という研究機関のような名前がついている。

建物はPhinney Ridge (フィニー・リッジ)の閑静な住宅街にある教会。その半分がこのインスティチュートです。教会の建物長老派のキリスト教教会と仲良く半分こずつ占有しています。

入り口脇にはステンドグラス。



少し遅れて行ったら、時間通りにもう始まっていた。

ほの暗い、天井の高い礼拝堂には、木の床に黒いクッションが並べられ、ステージとの間には点々と小さなロウソクが置かれています。結界みたいに。






奥には背のまっすぐな椅子が2脚と中国風のベンチがひとつ。右手の隅にはいろいろ不思議な楽器が並んでいて、Serge さんが音を奏でている。

Kaoruさんの踊りは、風に飛ばされる木の葉や、水に流されていく草のような、たき火の炎のような、ちょっと人間の体とは思えないような動きと、耳に聞こえないリズムで流れていく。

踊る人の手の表情は豊か。

奈良や京都のお寺の優雅な天人像や菩薩像のような、語る指先。

そして音の、なんと気持ちよいことか。

東南アジアのお寺の屋根の形をしたカンボジアの銅鑼の音は、明るく澄んで、余韻がいつまでもお堂の隅々からはらはら静かに降ってくるようだった。インドの鈴のくぐもった音、しゃらしゃら鳴るジャワの鈴の、アジアの豊かな雨のような音。


いろいろな太鼓の乾いた音。

そして、主役は、Didgeridoo(ディジュリドゥ)の、なんだか聞いたことのあるようなないような、地面深くに埋められた不思議な機械のエンジンから響いてくるような音。

わたしは今回この楽器の存在を初めて知ったのですが、民族楽器のなかでは有名なのらしい。

みためは、形も大きさも、長めのゾウの鼻くらい。

オーストラリアのアボリジニの楽器で、シロアリが喰って空洞になったユーカリの木の根をほぼそのまま、外側に装飾して楽器としたものなのだそうだ。すごい製法ですね。

この楽器には、トカゲくんが彫られていた。



音楽家と踊り手の間には、言葉に翻訳しがたいやり取りが飛び交う。音楽家が投げた音を何百分かの1秒で踊り手がはっしと受け取って、新しい流れが始まる。

踊り手の次の動きを読み取った音楽家が、少しだけ予想と違うリズムを投げて、また違う方向に何かが向かう。

見たことのない赤い乾いた平原や、緑濃い田園、水牛が歩くアジアのほこりっぽい道などが、音の中から次々に現れて消えるような。

そして見ている人の中にも、奏でている人にも踊る人にも多分、津波に呑まれた町や村のことが深く刻まれていて、出口を探している。

自然と人と、流れるもの、与えられるもの、永遠に生きるもの、語るもの、這いずるもの、飛ぶもの、命や力、などのこと。大きすぎてなかなか頭に入りきらないもの。

床に座っていながら、とてもてても広い風景を見てきたような気がした、小一時間でした。


休憩時間には、お茶をいただきました。

大きなガラスの入れものに入った中から好きな茶葉を選ぶと、ボランティアのスタッフが1杯ずつポットで入れてくれる。

紫色のロータスの花とラベンダーの花のお茶は、ほっとなごむ味でした。


家に帰ると、ちょうど、スーパー満月が上ってくるところでした。

北園克衛に
「赤い月がわめきながらのぼって来た」
というような詩の一節があった(ものすごくうろ覚え)けど、まさにそんな感じの月でした。





ベランダから息子撮影。トリミングしまくり。これは上ってきてから20分後くらいの月です。


追記:Kaoru さんのブログに動画がアップされました。



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