2016/09/16

上げ膳、カエル池、狩野派 (高野山 その1)

7月の、巫女との旅、続き。

奥熊野の山の中から、十津川渓谷を戻り、さらに山道をくねくねと上り(長かった)、ようやく夕飯の時間に高野山に到着。

今回の2泊3日の旅は、巫女のMちゃんにすべての旅程をおまかせしておりました。

2泊目は高野山の宿坊に泊まるというので、雑巾がけとかするのかな、と思っていたら。


武家屋敷のような立派な構えの門の前に車を停めると、「お待ちしておりました〜!」と、着物を着た綺麗な女性とお坊さんが出てきた。

一乗院という宿坊で、京都の九条家の菩提寺でもあるそうです。

ついたてのある、美しい帳場でチェックイン。
きれいに頭を剃ったお坊さんが館内の案内をとうとうと述べてくれ、部屋に案内してくれる。

部屋に着くとすぐに、お坊さんが2人、ご飯のお膳を持って登場。(到着が遅かったので、待ちかねていたらしい)


もちろん精進料理なのだけど、朱塗りのお膳三つに満載の、竜宮城みたいなお料理たち。


山桃いりの冷やしそうめんに山葵とろろかけ。
平椀は、胡麻豆腐に岩茸と山葵添え。
冬瓜とじゅんさいのお吸い物。
賀茂茄子に精進あんかけ。
生麩の白味噌煮込み。ぶどう豆。
無花果の揚げ出しに紅葉の天ぷら。
汲み上げ湯葉に生醤油。
ごはん。
メロンとすいか。

などなど。豪華絢爛の精進料理でござった。


照明は蛍光灯だったので写真の色がいまいちで残念。繊細なお味でございました。


食べ終わると、またお坊さんがやってきてテキパキとお膳を下げ、お布団まで敷いてってくれる。

雑巾がけはしなくてよいらしい。

高野山の宿坊って…高級旅館だったのね。

お風呂が午後9時までで、翌朝6時からのお勤めには「ぜひご参加ください」という柔らかなご招待があったほかは、旅館とおなじ待遇。あ、あと、門限もありました。9時までだったかな? 

部屋は新築されたばかりのようで、畳も新しかった。
テレビはないけどミニ冷蔵庫と電気ポット完備。美味しいお茶とお茶うけも用意されてました。

もちろん、そのへんの旅館よりもお掃除はずっと行き届いていて、どこもかしこもぴっかぴかで塵ひとつ落ちていません。



客室のほかに、正面の帳場の横に、広い続き座敷がいくつもある。


襖絵の一つは狩野派の絵師の筆になるものだそうです。

お座敷の一つで、写経をしているご家族があった。



庭には池があり、夜はカエルが大声で鳴いていた。
きいたことのないカエルだったので、どういう種類のカエルかと聞くつもりで、翌朝、案内してくれたお坊さんに
「お庭でたくさん啼いてますね。あのカエルは何ですか?」
と聞いたら
「……ふつうのカエルです」
と冷たく返されてしまった。お坊さんはカエルなどに興味はないらしい。


夕食後、高野山の中心部を散策。


ライトアップされた「根本大塔」は昭和12年に再建されたというもので、ぴかぴかのクリスマスカラー。
巨大でドラマチックな建物だけど、あまりにピカピカすぎて、巫女のMちゃんにはいまいちお気に召さなかったようです。コンクリート製だしね。



真言宗の総本山に来ておきながら、にっこり笑って「ええと、こちらのお寺の宗派は…?」と宿坊のお坊さんにきいたMちゃんもMちゃんですが、その後で空海についてこっそりwikipediaを読んでいたわたしもまったく同罪です。

お坊さんには「…こいつら空海先生のことも知らんと、聞く事ゆうたらカエルかい。しょうもな」と思われてたかもしれませんね。
 


ちなみにお庭のカエルはこちらです。

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2016/09/14

図書館とマネー


今回のソイソース『たてもの物語』は、シアトル中央図書館を紹介しました。
ブログで中央図書館の記事を書いてから、もう2年なのねー。季節はめぐるー。

シアトルの人って、どんだけ図書館好きなんでしょうか。と、いつも感心する。

このコールハース&ラマスさん設計の中央図書館ができたのも、1998年、市内の図書館を一新するために1億9,600万ドルという破格の予算がついたから。

さらっと200億円っすよ。国とか州ではなくて、人口100万人に満たない市の予算ですよ。

これは自治体の図書館予算としては全米でも破格のスケールで、いまだに前例がないようです。

当時はマイクロソフトが天井知らずの成長を遂げていたころ。

図書館のサイトにある「シアトルとしょかんのれきし」というコーナーにも、その当時の状況についてこんな一文が。

Circulation had soared past 5 million items by the mid-1990s, the Library's annual donations topped $1 million, and the dot-com frenzy was fueling an economy that seemed to promise a limitless future.

(1990年代なかばには貸出し数は500万件を超え、図書館への寄付も年間100万ドルを超えるようになった。怒涛の勢いで成長するドットコム業界は経済を大きく成長させ、無限の未来を約束しているようにみえた)
…ちょっと泣ける…。

このときの住民投票では69%が賛成だったそうです。

結局、この1998年の「Library for All (すべての人に図書館を)」予算は、当初の1億960万ドルに加え、ビル・ゲイツさんやらあちこちからの寄付などを加えて、2億900万ドルのプロジェクトになったのだった! 290億円。ちーん!

この予算で国際的中央図書館が建ったのみならず、市内の22の分館はすべて新築または改装されたので、シアトル市内の図書館はみんなとってもオシャレ。



こちらはご近所のバラード図書館。

ソイソースの記事ではさらっとしか触れられなかったけど、2012年8月に住民投票でゴーサインが出た図書館の目的税(Library Levy)もすごいなあ、と、つくづく思う。

私がシアトルに移り住んでしばらくたった2012年ころには、不況で市の財源が減らされて、図書館の開館時間も大幅にカットされてたんですよ。

日曜日に開いている図書館が少なくなり、あちこちのネイバーフッドの図書館も週に何日かは休館したり早い時間に閉めたりして、経費削減に対応していた。

それを、目的税を設定することで7年間にわたって毎年1,500万ドル以上の図書館運営費を確保した。7年間で1億2,300万ドル。

さらっと年間15億円。
内訳は、Keep Library Open (「図書館を開けておきましょう」)予算(週末や夜間も図書館を開けておくための人件費など)、書籍や資料を購入する予算、オンラインサービスやコンピュータ機器のアップグレード予算、建物のメンテナンス予算。

2000年代の不況を経て、また今、シアトルはバブリーなまでの成長中。
図書館にむこう7年間お金をつぎ込むだけの余裕を感じているのでしょう。いいことですね。



バラード図書館は、エコな仕掛けがいろいろフィーチャーされている。


屋根に草を生やしてあったり(グリーンルーフというそうですよ)。
これが10年間でどんだけうまくいってるのかはちょっと謎だけど、まあそこはそれ。
ソーラーパネルもあるらしい。


かっこいいでしょうー。とりあえず、町の誇りが図書館っていいよね。

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2016/09/12

ホビットたちの道と折口信夫。熊野古道と玉置神社 


7月1日の、巫女との旅のつづきです。

天河大弁財天社とごろごろ水を後に、十津川渓谷をさらに奥へ。


…この子といっしょに。
軽ちゃん、くねくねの山道をほんとによく頑張ってくれた。


途中、十津川の道の駅でいろいろ買い込む。
メインは十津川名産「めはり寿司」(高菜で巻いたおにぎり)と柿の葉すし。柿の葉すしは奈良の名産だと思っていたら、このへんにも「ホンモノ」があるのだと、巫女のグレープちゃんが力説。

「ホンモノを食べていかなあきまへんで」

と、吊り橋のたもとのおみやげ屋さんのおばさまが道の駅に電話を入れて、わざわざ道の駅で確保してくれた。なんと親切。

十津川の水の色はスモーキーなターコイズブルー。
渓谷の眺めは素晴らしかった。

でもまだまだ先が長い一日だったので、有名な吊り橋も横目でみただけで通りすぎました。


道の脇にこんな見事な滝をみつけて、少しだけ寄り道。


どうしても足をひたしてみたくなる、水晶のような水でした。


渓谷をくねくねいく国道からさらに、このねじれた小腸のような山の街道(「野菊街道」という名前)をくねくねと登る。


…この子でね。山道がんばったね。軽自動車ってとっても久しぶりに運転した。
坂道ではおもいっきりアクセル踏んでも、ぐわーんぐわーんというだけでなかなか進まなかった…。



そしてついに、山また山のただなかへ。ここは紀伊半島の南端に近い中心部。

熊野の奥の院といわれる古社、玉置神社。


思い切りくねくねした「野菊街道」の上の、思いがけず広々した駐車場に車を停めると、入り口の茶屋のおじさんが声をかけてくれた。

「初めて来たのー? なら奥のほうから山道を行ったほうがいいよ。こっちが世界遺産だよ、世界遺産!!」とな。

駐車場から神社へ行く参道のほかに、玉置山の山頂を回って神社に降りていく道があって、そっちは熊野古道の一部なのだそうです。

グレープちゃんと二人、茶屋のおじさんのすすめに素直にしたがい、山道へ。


かねてから行きたいと思っていた熊野古道にまで、はからずも来ることができました!

それまで全然知らなかったんだけど、熊野古道ってめちゃめちゃ長くていろいろあって、紀伊の海辺から山の中を通って大阪のほうまでつながっているんだそうだ。

世界遺産登録されたのは、「紀伊山地の霊場と参詣道」で、かなり広い範囲におよぶ。

この玉置山の上をとおっているのは、熊野古道の中でも最も険しい修験道の「大峯奥駈道」の一部。

天狗になる一歩手前みたいな山伏のひとびとが辿った縦走道で、いまでも修験道の行者さんやダイハードなハイカーが使っている山の道。



駐車場から玉置山山頂まではゆるやかな上りで、明るい広葉樹の林の中の気持ちのよい道。

吉野から熊野への神社めぐりの旅というのは、来る前にうっすらと、あら折口信夫の世界かしら〜、と思ってたのだけど、歩いてみたら、折口信夫よりも『指輪物語』のホビットたちの通った道が、あたまに浮かんだ。

国文学の素養がなさすぎるすみません。

エルフの森ロスロリエンのような、空気がひときわ濃く、あかるい森。

エルロンドの館に行く道はこちらでしょうか。

ロスロリエンも、人間の世になる前の神代の(中つ国ではエルフたちの時代だけど)時間が生きている古い時代の魔法の残る森なので、連想としては当たらずといえども遠からず、かもしれません。

熊野の森も、古い神々の物語が今なお生きている森です。


これはブナの木かな。木漏れ日と苔が浮世離れした美しさ。

折口信夫は、友人の日英翻訳者で日本文学オタクのジョーが大学院の卒業研究として折口の『くちぶえ』を英訳した時に照合チェックの手伝いをさせてもらって、その時に初めて読んだ。

インディアナ州生まれで高校まで日本語を見たこともなかったというジョー君は、日本人の中でも名前の読み方さえ知れ渡っていない(はい、「おりくちしのぶ」ではなく「おりぐちのぶお」と読んでジョー君を困った顔にさせたのはわたくしです。恥)、いってみれば京都や奈良の知られたお寺ではなくて秘境の山あいの神社のような存在である折口信夫の、ひっそりとした美意識にどういうわけかぴったりと息が合ってしまったようなのだ。

それほど昔の作品ではないのに感覚としてわかりにくい、少し気味の悪いような、生々しい感性と古い記憶につながる言葉。

さ夜ふかく
大き鬼出でて、
斧ふりあそぶ。
心荒らかに
我は生きざりき
(『春のことぶれ』)

日本神道は明治以降、無理やりに「国家宗教」にされてしまったけれど、本来はそのようなものではなかった。

土地とその空気と、水や木々や滝や石などの、その土地にある形あるものから、切り離せるような性格のものではなかったのではないか。それは身体を通してしか得られない、その場に固有の体験だったのではないか。

そこで語られている神性を無理に煮詰めて一般化しようとするとフランケンシュタインのようなキメラのような醜く平板で制御できないものが生まれるのではないか。

と、古い神社さんたちをいくつかめぐり、古道を少しだけ歩いてみて、そんなのはごく当たり前のことなんだろうけれど、あらためて実感したのでした。

江戸時代までの、仏教と密接に結びついてもちつもたれつだった神社の存在に、とても興味を惹かれる。


やや胸を突かれる上りのあと、ものの10分か15分ほどで山頂へ。


玉置山山頂にいた蜻蛉。
小さな鐘があった。鳴らしてみた。ここちよい響き。

さて山頂についたものの、神社に降りる道がみつからない。
しばらくウロウロしたあと、一本だけあったのがこの降り口。

この険しさから、いくらなんでもこれではないだろうと最初はスルーしたのだけど、他に道はなかった。


45度くらいの斜面でした。いや本当に、世界遺産の修験道だったのね……。
上りでなくてよかった…。

巫女グレープちゃんはここをビーチサンダルでひょいひょいと下った。さすがである。


空気がますます濃い感じの谷あいに入る。古い杉の木がたくさんあらわれる。


杉の木はみんななにか物言いたげ。

もともと玉置神社は何日もかけてこの古道、大峯奥駈道を行く行者さんたちの宿として始まったのらしい。


はからずも、修験道の古道をとおって神社の奥の裏口から入ることになったので、まず奥社の「玉石社」に出逢う。

ここには「玉石」が三柱祀られていて、これは玉置神社そのものよりも古い聖域なのだそう。

神社のサイトでも、「修験道では玉石社を聖地と崇め、本殿に先んじて礼拝する」と書かれてました。裏口から神社に入ったのは初めてだけど、この場合、修験道的には正しい入り方だったのらしい。駐車場の茶屋のおじさんのススメに従っただけだけど。


綺麗な苔がむした杉の木に護られるように木製の柵があって、なんだか丸い古い石たちがそのなかにあった。


鳥居も柵も何も塗ってない、素朴な造り。倒れている鳥居もあった。


石たちの社から素朴な鳥居をいくつもくぐって下っていくと、社務所の裏手に出る。
社務所には長髪の若い宮司さんがいた。今時の若者という感じで、日本で有数の山深い古い神社とは面白いとりあわせ。

冬は、霧氷が見られるので、マニアックなフォトグラファーがやってくるのだそうだ。


そしてようやく玉置神社の本殿へ。建物はこぢんまりしていて、やはり鳥居は丹塗りではない。社殿は欅材。


ここにも茅の輪が。


斜面に建っている社殿のかたわらには神代杉。樹齢3000年ともいう。


なにしろ三千年。キャラが立っています。


このほかにも、しめ縄を巻かれた巨大杉がたくさん。


良いものにたくさん出遇った。山深い、空気の濃密な神社でした。


帰り、例のおじさんが一人でやっているお茶屋さんで飲んだ「じゃばらサイダー」。「じゃばら」はこのへんで取れる柑橘類なのだそうです。きりっと酸味が爽やかで、うまかった。

もうそろそろ午後も遅い山道を引き返し、十津川渓谷を戻って、この日の次の目的地、高野山へと旅は続くのでした。



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2016/09/04

山あいの天の川温泉 ジブリな洞川温泉と天河大弁財天社


うひゃー、気づいたらもう9月になっていた〜。

元気でやっておりますが、ちょっとこのところ予想外に忙しく、相も変わらずあっちこっち行ったりあるいはじっと座ってジタバタしていました。

というわけで7月1日の日記のつづき。

前回の、水の神社、丹生川神社下社のあと、山道を更に奥へ。

渓谷沿いにある小さな温泉街、洞川(どろがわ)温泉がこの日の宿でした。


泊まったのは花屋徳兵衛という宿。

創業500年の老舗。

縁側や火鉢の似合う古い建物を、建物の個性を活かして微妙にモダンにアレンジしてある。
貸してくれるタオルや浴衣、下駄のデザインや素材も気が利いていて、スタッフも明るくて親切で、気持ちの良い宿だった。
ご主人はインテリジェントな感じの上品な方。

お風呂もこぢんまりしてるけどほかほかでよかった〜。
「後鬼の湯」という名がついた湯。「後鬼」は役行者の弟子らしいです。


ここは、むかしは修験道の行者さんたちの宿だったという。
この一帯の山は金峰山と呼ばれて、役小角がひらいた修験道の修行場だったそうな。
大峯山というのはいまでも女人禁制で、修行が行われてるらしい。
山伏1日体験なんていうのもあるようです。

両側に山が迫った、ほんとうに細い谷あいの、細い街道沿いの宿場。
軒にはイワツバメがたくさん舞い、朝夕には山の上から山伏の法螺貝がきこえてくる!
なんだか物語のなかに入り込んでしまったような温泉街。

『千と千尋』にでてきたいろんな姿の神様たちがやってきそうな、静かで浮世離れした温泉町です。好きすぎるー。水の神社につづいて、ジブリ度の高い奈良県吉野郡。というかミヤザキ映画に描かれる日本はここに(も)あったのかー、ということか。



お食事は素朴な山の幸。地元のにじますの刺身や野菜。


宿場の街道にそって川が流れていて、橋をわたったところにお寺がある。

そこの池にホタルがいるというので、ご飯のあとMちゃんと見に行った。
ホタルちゃんが闇のなかの迷えるタマシイのようにひゅーひゅー飛んでいた。
女二人で行くには残念すぎるほどロマンチックであった。



翌朝6時前、巫女でジャズ歌手で通訳のMちゃんは近くの天河大弁財天社というけっこう有名な神社で毎日開催されているという「早朝のおつとめ」にでかけていった。
その間、わたしは朝湯をつかわせてもらって、そのへんを散歩。

谷を流れる川の水のきれいなこと!


橋の下にニジマスちゃんたちが群がる。宿の方に「ニジマスを見に行く」というと、厨房に走っていってビニール袋いっぱいのごはんをくれた。
ごはん粒を投げると、橋の下でニジマスちゃんたちの熾烈な争いが繰り広げられる。


ちょうど、七夕の少し前で、あちこちに短冊が飾られてました。
ここは天川村。そこに天の川のお祭り。できすぎのようだ。


細い街道を少し行ったところに「ごろごろ水」という湧き水の出るところがある。

これが有名な銘水なのだそうで、たくさんの人が軽トラにポリタンクをたくさん積んで汲みに来る。
水はタダだけど駐車場に500円くらい徴収される。
車を停める場所のすぐ後ろに蛇口がついていて、ここで汲み放題のシステム。
まろやかでおいしい水でした。


宿をチェックアウトしてから、有名な天河大弁財天社にもお邪魔しました。
巫女はこの日2度目だけれどつきあってくれた。

小さな社で、階段の上にすぐ拝殿があり、神坐はさらに階段状の椅子が並んだ上に。

ここの鈴は鳴らすのにコツがいるもので、とても良い音が響く。
ちょうど祈祷がはじまるところで、少しだけ拝見させていただいたけれど、神主さんの声が朗々と響く美しい裏声でびっくりした。


ここは弁財天だけに、音への感性が鋭敏になるようになっているのかもしれません。

この神社も、とても古い由緒があって、役行者が開いたともいわれ、空海が修行した場所でもあるそうです。

とても気持ちの良い場所でした。
そしてさらに巫女との旅は続く。

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